旧中山道二人旅

旧東海道、旧甲州道中と2つの街道を踏破し、5街道の中で一番距離が長く、峠越えも多く、一番厳しい中山道の歩き旅をします。 相方のYumiさんは車椅子とベットの生活となり特養でお世話になっているため、中山道の旅は旧甲州道中を旅したMさんと二人で旅をすることになりました。 今年、災難を乗り越えて生きてきた人生の節目の古希(満69才)を迎え、その記念として旧中山道の旅を行います。 旅は日本橋を出発し、京都・山科追分で京街道に入り、東海道57宿の4宿を歩き、大坂・高麗橋にゴールする予定です。 街道で見かけましたら、気軽に声を掛けて下さい。

2017年12月

【天候】 雨のち曇り 
【宿場】 (39)須原宿 ⇒ (40)野尻宿
【行程】 歩行距離=10.30㎞ 総距離=308.71㎞
倉本駅入口⇒(1.54㎞)⇒万場交差点⇒(2.5㎞)⇒大渕沢橋⇒(2.42㎞)⇒枡形道分岐⇒(2.06㎞)⇒大島バス停⇒(1.78㎞)⇒ 大桑駅入口交差点
【ルート図】
 ↓
宿場(桃色=第20回旅の宿場・黄色=踏破済の宿場)
000 第20回宿場図
 ↓
第20回旅のルート
000-1 第20回ルート
【旧中山道二人旅】
《序章》
今日は上松駅から中央本線に乗り1駅先の倉本駅に移動し、倉本駅から2駅先の大桑駅入口交差点までの約10㎞の旅をします。
街道旅は、1日15~20㎞歩くことにしているのですが、
・大桑駅の昼間の電車が12時34分と15時の2本しかない
・相方のMさんの奥さんの病状の関係で、少しでも早く家に帰る必要がある
ため、旅の距離を短縮して終えることにしました。
《移動》
〔朝食〕

朝、5時にスマホのアラーム音で布団を出て、洗面、着替えを行い旅の支度を整えTVで天気予報を見ていると、Mさんが近辺を散策するというので一緒に夜明け前の肌寒い駅前商店街を一周しました。
15分くらいで旅館に戻ると、食事の支度が整ったと連絡があり、別室の食事場所に行き朝食を摂りました。
001 朝食
〔移動〕
07時34分、田政旅館発
002 田政旅館
旅館の女将さんに御礼を云って旅館を出発し、上松駅で切符を購入(切符販売は7:30~16:00の間で、これ以外の時間はバスと同じで整理券による精算)して乗車ホームの休憩所に入ると、数分で電車が入線(07:43)してきました。
「まだ早いのでは?」と思っていると、特急の通過待合せで定刻に出発しました。
07時52分、上松駅発
003 上松駅
車内は7割くらいの乗客で、ほとんどが通学する高校生で、下車したのは私達2人の他に男性1人だけでした。
08時00分、倉本駅着
004 倉本駅
ワンマン電車(運転席の斜め後ろに設置されている切符箱に切符を入れる)を降りると、旅館を出て上松駅に行く時は降っていなかった雨が降っており、ホームの待合所でザックから傘を取り出し、昨日の到着地で恒例の出発式を行い、今日の旅に出発しました。
※今日は傘を差したり、閉じたりの繰り返しでした。
【=旅=】
08時05分、倉本駅入口(出発地)
005 倉本駅入口(出発地)
駅入口(南木曽方面ホーム)から左側に下車した倉本駅を眺めながら坂道を歩くとカーブミラーと中山道道標が建っている分岐があり真っ直ぐに進みます。
※分岐(直進)
006 分岐(直進)
分岐から約170m歩くと、左側の斜面に石仏群が祀られていました。
08時15分、石仏群(左側)
007 石仏群
石仏群から約70m歩くと、左側に天王様の石塔群がありました。。
08時16分、天王様の石塔群
008 庚申塔群
石仏群は牛頭天王と刻まれた文化6(1809)年建立の常夜燈、その後方に亨保12(1727)年建立の庚申塔があります。
天王様の石塔から約60m歩くとY字路分岐があり、①右方向の草道に入り、②草道のY字路を左方向に進み、③下道の舗装路に合流してヘアピン状に右折する
①Y字路=右           ②Y字路=左        ③合流=右折
009 Y字路分岐(右方向) 009-1 分岐(左側) 010 分岐(合流・右折)
下道の舗装路を約200m歩くと、R19に突き当たり(T字路)左折します。
08時22分、T字路分岐(左折)
011 T字路分岐(左折・大沢橋)
分岐を左折すると直ぐに大沢橋があり、橋を渡るなど約190m歩くと万場交差点があり、進行方向右側に道路を横断します。
08時24分、万場交差点
013 万場交差点
交差点から約220m歩くと、右側に駐車エリアがあり、エリアの右側に日本橋から74番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と解説板が建っていました。
08時27分、074倉本一里塚跡(右側)
014 74倉本一里塚跡  014-1 解説
掲載した写真には写っていませんが、一里塚の真横に大型トラックが停まっていたので、危うく見過ごすところでした。
※注意=この場所は定期便のトラックが停車して休憩する場所なので、駐車エリアの沿道側を歩いて見過ごさないようにして下さい。
一里塚跡から約190m歩くと池の尻信号があり、その手前に斜め右側に入る下り坂(金吾坂)を進みます。
08時30分、池の尻信号(手前分岐を右方向)
015 分岐(右方向・池の尻信号)
分岐を右に入り約200m歩くとR19沿いにコンビニ(サークルK)が見え、旧道からR19に通じる階段を上り、R19を横切ってコンビニに立ち寄り昼食(到着地の大桑駅、乗り換えの塩尻駅で購入できないことを想定)を仕入れました。
※コンビニ(サークルK)
016 コンビニ
昼食のおにぎりを仕入れ、再び旧街道に戻り約150m歩くと分岐があり、左方向の細い道に入ります。
08時41分、分岐(左側の細い道)
①分岐に入って約40m歩くと舗装路が草道になる
017 分岐(左方向)
②前方に建つ建物に向かって坂上ります
018 中山道道標と草道
③建物は廃業した食堂ていしゃばで、建物の左側を抜けてR19に合流します
019 食堂ていしゃば(廃業)の脇を通る
R19に合流すると直ぐに境の沢橋があり、渡った右側(写真=白丸)に標高(588m)標柱が右側に建っていました。
そして、この橋が上松町と大桑町の境で大桑町に入りました。
08時45分、境の沢橋
020 境の沢橋
境の沢橋から約200m歩くと、右側に看板(後ろ側)が建つ進行方向左側に、斜め左に上る道があり入って進みます。
〔道案内〕=番号順に進みます
①境の沢橋から約200m右側の看板(白丸)、黄丸=③の道
②看板の表側
③道路右側に横切り、斜め左に上る細い道に入る
                                 
021 ①分岐道案内 021-1 ②看板の裏側 022 ③分岐(左方向)
④JRの線路を横切る(※危険なので要注意)
※私、Mさんの順に線路を横切ったのですが、Mさんが横切ってから数秒後に貨物列車が走り抜けて行き、命拾いしました。
線路がカーブしているため、運転手からも見えないので、渡る前は気を付けて下さい。
⑤草道から簡易舗装の道を進む
⑥舗装の車道を少し戻る感じで横切る
                                 
023 ④線路を横切り 024 ⑤草道から簡易舗装の道を進む 025 ⑥車道を横断する
⑦養殖池の間の坂を上ると左側にエドヒガンサクラが植生されています
⑧エドヒガンサクラの標柱の右側を通る
⑨エドヒガンサクラを過ぎた処を、ヘアピン状に右の坂を下る
                                 
026 ⑦エドヒガン桜 026-1 ⑧エドヒガン桜標柱 027 ⑨エドヒガン桜を過ぎた処をヘアピン右折
⑩細い土道を下る
11.丸太橋を渡って右折する
12.車道に突き当たり(T字路)左折する
                 11                12
028 細い土道を下る 029 丸太橋を渡り右折 030 T字路分岐(左折)
13.舗装の車道から右側の線路脇の草道に入る
14.JRの線路を横切る
15.合流したR19を進行右側に横切り左方向に進む
13                  14                15
031 舗装路から線路脇の草道に入る 032 線路を渡ってR19に合流 033 R19を横切る
16.約100m先の阿寺渓谷、のぞきど森林公園などの案内看板の処を右折する
17.砂利道を進む
18.R19に合流する
16.                 17.                18.
034 分岐(右折) 035 砂利道 036 合流
R19に合流して約400m歩くと、松渕橋があり、大渕沢が左側に見えました。
09時19分、大淵沢(左側)
037 大淵沢
大渕沢から約350m歩くと左側に名古屋まで119㎞距離標が建っていました。
09時23分、119㎞距離標(左側)
038 119㎞距離標
距離標の左側を走るJR中央線のさらに左側に津島神社が祀られているらしいのですが、確認することはできませんでした。
距離標から約210m歩くと、左側に糸瀬山登山口の看板が建っていました。
09時26分、糸瀬山登山口(左側)
039 糸瀬山登山口標識
登山口の看板が建っていますが、ここからは入り口はなく、約40m先の分岐を左に入ります。
分岐の左側に上郷バス停があり、さらに約80m歩くと猿沢橋があり、橋の先に温度計(黄色丸)が掲げられ、4℃を表示していました。
そして橋の左側が猿沢です。
09時29分、猿沢(左側)            ※現在の温度(4℃)
041 猿沢  041-1 温度計
猿沢橋から約280m歩くと、斜め左に分岐する道があり、左に入って進みます。
09時33分、分岐(左側)=左に入ると黄色の車止めが設置
042 分岐(左方向)
分岐を左入りして約270m歩くと
①橋が架かっており、橋を渡って約260m進む
②直進して橋を渡る道(黄矢印)と、右折してR19に合流(白矢印)する分岐があり
私達は黄色矢印のそのまま真っ直ぐ橋を渡ってR19に合流しました。
①橋を渡る                     ②直進してR19に合流
043 橋  044 分岐(橋を渡る)
合流したR19を約100m進むと須原宿標石(分岐点)が建つ分岐があります。
09時43分、須原宿分岐
045 分岐(左方向)
※黄丸印=須原一里塚跡
私達は資料に記されたルートを歩いたのですが、歩いた結果から私はルートに拘らないのでしたら分岐を左に進むことをお勧めします。
《資料に記されたルート》
分岐を曲がらないで約120m直進すると、
①斜め左に石垣と白いガードパイプの間に細い道がある
②左入りして進むと右側に武家屋敷風の門があり
③県道に合流します。
この道は③の白矢印のとおり須原駅方向に戻り、須原宿分岐の手前まで戻らないと、須原一里塚跡や高札場跡は見ることはできない上、県道合流まで戻らなくてはいけません。
①分岐(左入り)         ②武家屋敷風の門      ③県道に合流
052 分岐(左方向) 054 武家屋敷門 055 須原宿並みに合流
《私が推奨するルート》
分岐を左に進むと、
約30mで右側に「075須原一里塚跡」があり、石碑と解説標板が建っている
047 須原一里塚跡
一里塚跡から約70m歩くと、左側に「幸田露伴碑」が建っている
048 幸田露伴碑
碑の斜め前方の右側に名物桜の花漬けを商う大和屋がある
049 大和屋(桜の花漬け)
大和屋の真ん前にJR須原駅があり、駅舎の待合室で休憩&トイレがあり、私達もここで休憩&トイレを済ませました
050 須原駅
須原駅入口から約60m歩くと、右側に高札場跡があり、解説標板が建っています
051 高札場跡
資料に記されたルートの合流点がある
合流点を右折して資料に記されたルートに入り、武家屋敷風の門を記録に残す
が良いと思います。
合流点から旧街道を約140m歩くと、左側に代々木村平左衛門を襲名した須原宿本陣跡があり、家屋前に本陣を記したパネルが建っていました。
10時07分、本陣跡(左側)
056 須原宿本陣跡  
本陣跡から約50m歩くと、左側に明治24(1891)年に須原宿で一泊している正岡子規の歌碑が建っていました。
10時08分、正岡子規の歌碑(左側)
059 正岡子規歌碑
歌碑の斜め前(進行右側)に、問屋、庄屋を兼ねた西尾脇本陣跡がありました。
10時09分、西尾脇本陣跡(右側)
057 脇本陣跡  058 西尾酒店
西尾家は木曽義元の家臣で、後に木曽代官山村家に仕え、尾張藩の山林取締を勤めました。また、酒造業を営み銘酒「木曽の桟」の蔵元である。
西尾酒造の店に入って店内を撮影しようとしたら店の女将が現れて、「写真は撮らないで下さい!!」と喧嘩腰で云われ、口では「あ、そうですか」と云って店の外に出ましたが、心の中では「もっと云い方があるだろう。絶対にここの酒は飲まない」と心に刻んで店の外にでました。
西尾脇本陣を出て約50m歩くと右側に、島崎藤村の「ある女の生涯」の舞台となった清水医院跡があり、解説パネルが建っていました。
10時11分、清水医院跡(右側)
060 清水医院跡
建物は愛知県犬山市の明治村に移築されて保存されているそうで、この場所にはありません。
清水医院跡から約20m歩くと左側に、常夜燈が建っていました。
10時11分、常夜燈(左側)
061 常夜燈
常夜燈から約60m歩くと右折する道の両側に、昭和2年に建立された須原小学校の校門の柱(黄色丸印)が残されていました。
10時13分、須原小学校校門の柱(右側)
063 須原小学校校門跡
須原小学校校門柱から約110m歩くと、旧旅籠吉田屋(現民宿すはら)がありました。
10時15分、旧旅籠吉田屋(右側)
064 旧旅籠吉田屋
旧旅籠吉田屋から約50m歩くと、左側に旧旅籠柏屋徳次郎があり、2階の軒先に
三都講、御嶽講の看板(黄丸印)が掲げられていました。
10時16分、旧旅籠柏屋徳次郎(左側)
065 旧旅籠柏屋徳次郎
街道は旧柏屋徳次郎の先のガードレール橋(黄丸印)を渡ったところを右折(黄矢印)して鍵屋の坂を下る枡形道を進みます。
※分岐(右折)=ガードレール橋の先
066 分岐(ガードレール先を右折)
しかし、分岐の約50m先に、永享2(1430)年に創建され、本堂、山門、庫裏が国の重要文化財に指定されている定勝寺があり、立ち寄りました。
10時18分、定勝寺(左側)
067 定勝寺・入口
※本堂               ※庫裏             ※山門
067-1 本堂入口 067-2 庫裏 67-3 山門
定勝寺を出て枡形道の分岐に戻り、鍵屋の坂を下り、突き当たったT字路を左折しました。
10時24分、分岐(T字路を左折)
069 分岐(左折)
T字路を左折して約300m歩くとクランク形の道となり、突き当りを左折、カーブミラーに沿って右折して進みます。
10時27分、分岐(T字路を左折、カーブミラーに沿って右折)
070 分岐(左折)・合流(右)
クランク形分岐から約110m歩くと、Y字路分岐となり、左方向の上り坂に進みます。
左に入ると直ぐの左側に須原宿碑が建っています。
10時28分、分岐(Y字路分岐を左方向)
071 分岐(左方向)  071-1 宿碑
Y字路分岐の上り坂を約270m歩くと、第9中山道踏切があり、渡って進みます。
10時33分、第9中山道踏切
073 第9中山道踏切
踏切からさらに長坂の上り坂を約190m進むと、右側の前方に福沢諭吉の娘婿が造った須原水力発電所が見えました。
※長坂の上り                    ※須原水力発電所(右側)
074 長坂   075 須原発電所
須原水力発電所が良く見える場所から約110m(踏切から約300m)の辺りに二軒茶屋があったそうですが、跡地に標識がなく資料に記されていた場所には「三瀬町さん」の家があり記録に残しました。
10時37分、二軒茶屋跡?(右側)
076 二軒茶屋跡付近
二軒茶屋跡付近から下り坂になり、約300m歩くと左側に大桑村公民館橋場分館が十字路があり、左折(白矢印)して京都の清水寺に似た建物の岩出観音を見に行きました。
10時41分、分岐(十字路を左折)
077 岩出観音分岐(左折)
十字路を左折して岩出観音に向かうと、約70m先で左側の坂道を登らないと行けないことが分かり、分岐付近から建物の写真を撮るだけにしました。
※岩出観音
078 岩出観音
分岐十字路に戻り約100m歩くと、伊奈川に架かる伊奈川橋があり、渡って進みます。
10時46分、伊奈川橋
079 伊奈川橋
伊奈川橋を渡り約30m歩くとT字路となり、右折して進みます。
※分岐(T字路を右折)
080 分岐(右方向)
T字路を右折して約260m上り坂を歩くと、Y字路となり、左方向に進みます(左側に中北道標が建っている)。
10時50分、分岐(Y字路を左方向)
081 分岐(左方向)  081-1 中北道標
Y字路を左方向に約220m歩くと、左側に大桑村消防団第二分団があり、その約30m先が十字路になっており、街道は左折して進みます。
また、この十字路を真っ直ぐ進む道(赤矢印)が江戸初期の中山道です。
10時53分、分岐(十字路を左折)
083 分岐(左折)
分岐十字路を左折する左角に、水場の水舟がありました。
※水舟(左側)
084 水舟水場
分岐十字路を左折してしばらく歩くと緩やかな上り坂となり、途中沼田屋商店(右側)などを見ながら約750m進むと、斜め交差の十字路があり、右側手前に八幡神社入口標石(黄丸印)、右側斜め前方に中北道標(白丸印)が建っていました。
11時04分、八幡神社入口標石(右側)
085 八幡神社入口標石  085-1 標石
八幡神社入口標石から約90m歩くと、左側に大正12(1923)年の土石流で26名が犠牲になった記念碑が建っていました。
11時07分、水害記念碑(左側)
086 水害記念碑
記念碑の直ぐ先でT字路となり、右折して進みます。
※分岐(T字路を右折)
087 分岐(右折)
分岐を右折して約180m歩くと右側に中北道標、天長院解説パネルが建っており、街道を離れて真向かい(左側)を左折(白矢印)して寺院に立ち寄りました。
11時09分、分岐(左折)
088 天長院分岐(左折)  088-1 解説・道標
左折して約80m歩くと右側に天長院があり、山門の手前左側にマリア像(黄丸印)がありました。
11時11分、マリア像(右側=天長院)
089 マリア地蔵  089-1 マリア地蔵
街道に戻り約400m歩くとY字路分岐があり、左側の中北道標に沿って左方向に進みます。
11時19分、分岐(Y字路を左方向)
091 分岐(左方向)
Y字路分岐から約130m歩くと正面に竹林があり、竹林に沿って右方向に曲がります。
※分岐(竹林に沿って右方向)
092 分岐(直進)
竹林に沿って右に曲がりながら約50m下ってくると、分岐の手前右側に道標、分岐するところにカーブミラーがあるY字路があり左方向に曲がります。
※分岐(Y字路を左方向)
093 分岐(左方向)
Y字路を左に約40m進むとT字路に近いY字路となり、左方向に進み長野宿橋を渡ります。
11時23分、分岐(T字路を左方向)
094 分岐(左方向)

長野宿橋から約40m歩くと、今日の到着地である大桑駅入口交差点に到着し、到着地を記した看板を掲げて到着式を行い旅を終えました。
11時25分、大桑駅入口交差点(到着地)
095 大桑駅入口十字路(到着地)  096 大桑駅入口十字路(到着地)
《076大桑一里塚》
到着式を終え、約80m先の大桑駅に行くと、乗車する電車の発車(12:34)まで時間があるので、大桑駅から木曽川方面(西側)に下ると古中山道の南塚を残している大桑一里塚跡があるとのことで探索に出掛けました。
097 大桑駅
〔道順〕

上松方向に線路に沿って130m歩くと、左側にガードがあり、ガードを潜る(右側に鈴木電機がある)
098 分岐(左折してガードを潜る)
ガードを潜り、合流するR19を横切って左折する
099 分岐(ガードを出て左折)
進行右側を約90m歩き、右折する
100 分岐(右折)
右折した道を道なりに右に曲がり(約80m地点)ながら坂を下る
101 分岐(左方向)
坂を下って左折する処(④の曲がる処から約80m)を右折する
  ※左折するとシシゴ沢に架かる橋がある
102 分岐(右折)
右折すると左側に月夜寮があり、正面左に墓地がある右側(黄丸印)に、日本橋から76番目の一里塚がありました。
102 分岐(右折)  103 月夜寮の脇を通る
墓地の右側に大桑一里塚の前に石碑が建っています
076大桑一里塚(現存する南塚)
104-1 大桑一里塚跡
【帰路】
〔昼食〕

大桑一里塚から大桑駅に戻り、駅舎待合室のベンチで電車の到着を待ちました。
切符売場は朝の6:30~12:30の間だけで、あとは無人駅になります。
時計は12:20であと10分で業務が終えるため、整理作業を行っていました。
105-1 切符販売時間  105 大桑駅切符売場
また、電車の到着を待つ間、旅の途中のコンビニで購入したおにぎりを食べ、空腹を満たしていました。
〔移動〕
12時34分、大桑駅発
13時49分、塩尻駅発
塩尻駅に着く頃には天気は回復して青空が広がっており、甲府駅の手前で車窓から富士山が撮れました。
106 車窓からの富士山(甲府駅手前)

【次回の予告】

次回の第21回「旧中山道二人旅」は1月と2月の凍結期(転倒による怪我を回避するため)を休み、春が訪れる3月中旬から再開します。
旅 日=平成30年 3月17日(土)
行 程=大桑駅入口交差点 ~ 南木曽駅入口
歩程距離=約12.3㎞
の予定です。


 
街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/

【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/  

    

【天候】 晴れ 
【宿場】 (37)福島宿 ⇒ (38)上松宿 ⇒ (39)須原宿
【行程】 歩行距離=16.46㎞ 総距離=298.41㎞
福島宿・上町交差点 ⇒ (1.85㎞) ⇒ 070塩渕一里塚跡 ⇒ (2.20㎞) ⇒ 元橋交差点 ⇒ (1.85㎞) ⇒071沓掛一里塚跡 ⇒ (2.25㎞) ⇒ 笹沢交差点 ⇒ (1.01㎞) ⇒ 072上松一里塚跡 ⇒ (1.97㎞) ⇒ 津島神社分岐 ⇒ (2.43㎞) ⇒ 073荻原一里塚跡 ⇒ (2.90㎞) ⇒ 須原宿・倉本駅入口
【ルート図】
 ↓
宿場(桃色=第19回旅の宿場・黄色=踏破済の宿場)
000 第19回宿場図
 ↓
第19回旅のルート
000-1 第19回ルート
【旧中山道二人旅】
《序章》
今日は木曽福島がら倉本駅入口までの16.46㎞を旅します。
前日にMさんと今日の行程について地図で確認を行い朝を迎えました。
また今日の宿泊は上松宿の田政旅館で街道に面しているので、街道旅の途中でザックを預け身軽になって歩く予定です。
《朝食》
6時55分、朝食

5時にセットしたスマホのアラームで布団を出て、洗面と旅支度を整え天気予報を確認したり、ニュースを見て過ごし、朝食に行きました。
朝食は7時からでしたが少し前に食堂へ行くと、テーブルに配膳されて支度が整っており、従業員の方に確認するとOKとのことでそのまま食事になりました。

食事の内容は可もなく、不可もないごく普通の内容ですが、一人住まいの私には贅沢すぎる内容でした。朝食は7時からでしたが、少し早く食堂に行くと支度が整えられており直ぐに食べ始めました。

002 朝食
また、今日の出発地は電車移動の必要がないため、急いで食べることなくのんびり気分で食べることができました。
07時46分、宿泊ホテル(自由旅クラブ木曽三河屋)発
フロントで精算しチェックアウトしてホテルを出発し、約170m離れている昨日の到着地(上町交差点)に向かい、恒例の出発式を行い旅立ちました。
【=旅=】
07時50分、福島宿・上町交差点(出発地)
003-1 上町交差点(出発地)
出発して約150m歩くと最初の交差点(交流文化センター)があり、左折(白矢印)して本陣跡を見に行きました。
※分岐(左折=交流文化センター信号)
004 分岐(本陣跡=左折)
左折すると約40m先に木曽町交流文化センター(元木曽町役場)があり、ここが福島宿白木本陣があった処で、手前左側の観光協会に本陣跡の道案内と解説が貼り出されていました。
07時53分、福島宿白木本陣跡(左側)
005 本陣跡(木曽町交流文化センター)   005-1 解説
支所前交差点に戻り約50m進むと、左側にYumiさんと立ち寄ったことのある創業が明治25(1892)年で銘酒・七笑の蔵元の七笑酒造がありました。
07時56分、七笑酒造(左側)
006 七笑酒造
七笑酒造の斜め向かいに、創業約350年の木曽路の宿「いわや」がありました。
07時57分、木曽路の宿・いわや(右側)
007 いわや旅館
いわやは現役当時、木曽福島に出張で来た時、数回宿泊したことがあり、懐かしく当時を思い出ししばらく眺めてしまいました。
いわやを過ぎ、左側に真岡薬局がある分岐を左折して枡形道を進みます。
※分岐(左折=真岡薬局前)
008 分岐(左折)
左折して約70m歩くと右に曲がる①左角に案内道標があり、上ノ段に向かう上り坂になります。
上ノ段の上り坂を約30m歩くと、②右側に高札場跡があり、復元されたモニュメントが建っていました。
※①分岐(案内道標)       ※②高札場跡(右側)     ※高札場の解説
009 上の段坂   010 高札場跡  010-1 解説
坂を上り、左に曲がると木曽義昌の上ノ段城跡となり、旧家の家並みが残っていました。
※上ノ段の町並み
011 上の段の町並み
上ノ段の町並みに入ると直ぐの左側に観光文化会館があり、少し先の右側にまつり会館があり、敷地内に陰陽師で有名な安倍晴明を祀った晴明社がありました。
08時02分、まつり会館(右側)
012 晴明社
まつり会館から約40m歩くと左側に水場があり記録に残しました。
※水場(左側)
013 水場
水場の先隣りに細い路地があり、約100m入った大通寺に立ち寄りました。
08時04分、大通寺(左側)
014 大通寺
街道に戻り約60m歩くと左に曲がると下り坂となり、約30m下ると右側に水場があり、水場の手前を右折して進みます。
08時06分、水場(右側)
015 分岐(右折)  016 古い井戸
左側に水場を見ながら右折し、約30m進むと中矢沢橋があり、橋を渡って右折します。
※分岐(右折=中矢沢橋)
017 分岐(中矢沢橋・右折)
右折して約110m歩くと右に入る道があり、街道を離れて右折して約30m入ると右側に亨保元(1716)年創業の蕎麦・くるまや本店があり、左側に木曽漆器が発祥した地に万延元(1860)年に創業したよし彦がありました。
※蕎麦・くるまや(右側)           ※よし彦(左側)
018 蕎麦・くるまや本店019 漆器・よし彦019-1 木曽漆器発祥の地碑
街道に戻り約30m進むと、当初宿泊を予定していた「むらちや」がありました。
08時11分、むらちや(右側)
020 むらちや
むらちやから約120m歩くとY字路となり左側に進みました。
※分岐(Y字路を左側)
021 分岐(Y字路・左)
Y字路を左側に約350m進むと、左側にJR木曽福島駅があり、真向かいの商店に入り昼食用の食材(おにぎりは売り切れてしまいパンを購入)を仕入れました。
08時16分、木曽福島駅(左側)
022 JR木曽福島駅
商店を出て約40m歩くと再びY字路となり、左側に進みました。
※分岐(Y字路を左側)
023 分岐(Y字路・左方向)
左側の上り坂に入り約60m進むと右側に入れる細い道があり、細い道を進むと突き当りに木曽町役場の入口があり、右折して進みます。
08時23分、分岐(右側の細い道)
①細い道に入る
          ②細い道を直進        ③木曽町役場前を右折
024 分岐(右側の細道)  024-1 分岐(細道・直進)  024-2 分岐(木曽町役場・右折)
なお、先程分岐したY字路を進んできても約120mでY字路を右側に進むと町役場前で合流します。
町役場前を右折して役場に沿って左側に回り込むように下り坂を下り、下道に合流します(合流手前の左側に「ここは塩渕」と記された中山道道標がある)。
④役場に沿う            ⑤下り坂            ⑥下道に合流
024-3 分岐(役場に沿って進む)  024-4 分岐(直進)  024-5 分岐(合流)
合流して約150m歩くと、右折できる道の左側に塩渕地名由来解説碑が建っていました。
08時31分、塩渕地名由来解説碑(左側)
025 塩渕地名由来碑  025-1 解説
塩渕地名由来記から約50m歩くと、左側に塩渕クラブの建物があり、その前に日本橋から70番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と標柱が建ち、クラブの建物の壁に中山道解説板が掲げられていました。
08時32分、070塩渕一里塚跡(左側)
026 67塩渕一里塚跡
※中山道解説(塩渕クラブ建物の壁)
026-1 中山道解説
一里塚跡から約40m歩くと、左側の段上に石仏石塔群がありました。
08時34分、石仏石塔群(左側)
027 石仏石塔群  027-1 案内標識
石仏石塔群から約300m歩くと、右側に松本日産(正面がJA木曽)があるT字路に突き当たり、左折して進みます(左角に「ここは塩渕」と記した中山道道標)。
08時39分、分岐(T字路を左折)
028 分岐(左折)
T字路分岐から約50m歩くと、県立木曽病院の案内道標が掲げられている信号手前に、左側へ上る細い道があり入ります。
※分岐(信号の手前を左側に入る)
029 分岐(左側)
上り坂を約300m歩くと、車道に合流し右折して進みます。
08時46分、分岐(右折)           ※分岐斜め左の標識群
031 分岐(右折)  031-1 道路標識
車道を約150m歩くと、左側に津島神社の案内看板が建っており、参拝に立ち寄りました。
神社は道を少し上り、左折して木橋を渡った右側に社が祀られています。
08時49分、津島神社(左側)
032 津島神社案内碑032-1 津島神社
車道を約260m歩くと、遠くに赤い高架橋が見え、斜め左方向に進む道に入ります。
※分岐(左方向)
033 分岐(左方向)
分岐から約100m歩くとR19の高架橋があり、下を潜ると直ぐに中央線廃線トンネルが正面に見えました。
旧道は山を越えて行くのですが、道が消滅しているため廃線トンネルを潜って進むと資料に記されていたのですが、見るからに廃墟化しており、トンネル内は真っ暗でどのようになっているのか分からないので、通行止めになっていることもありトンネルの手前を右折し、迂回して進むことにしました。
08時55分、廃線トンネル(手前を右折)
034 分岐(トンネル手前を右折)
トンネル手前を右折し、再度R19の高架橋を潜り、高架橋の右下を進み、R19に合流します。
※分岐(高架橋の右下を進む)        ※合流(R19に合流)
034-1 分岐(迂回路)  034-2 分岐(R19に合流)
合流したR19を約550m歩くと、トンネルから出てきた道(江戸に向かう側は入口分岐)があり、中山道道標(ここは鳥居)と通行止めの標識が建っていました。
また、江戸方面に向かうR19と分岐する処に元橋バス停があります。
※トンネルからの合流点     ※通行禁止標識       ※元橋バス停
035 分岐(トンネルからの道の合流点)  035-1 通行禁止標識  036 元橋バス停
元橋バス停から約350m歩くと元橋交差点があり、直進します。
09時13分、元橋交差点(直進)
037 元橋信号
元橋交差点から約40m歩くと左折できる道があり、左折してJR神戸架道橋を潜り右方向に曲がって線路沿いを進みます。
※分岐(左折=JR神戸架道橋)
038 分岐(左折)
架道橋を潜った処から約270m歩くと、右側に階段があり、階段の上り口右側に木曽御嶽遥拝所と記した看板が建っていました。
階段を上ると大きな石の鳥居があり、往時はここから御嶽山が眺められたようですが、現在は木々に囲まれて見ることはできません。
09時18分、木曽御嶽遥拝所(右側)
039 御嶽遥拝所入口  039-1 御嶽遥拝所
遥拝所から約170m歩くと中央線沿いとなり、右側に木曽ダムが見え、さらに線路沿いに坂を上ると、眼下に道の駅木曽福島が見えるようになりました。
※木曽ダム               ※線路沿いの上り坂
040 木曽ダムの眺め  041 旧道・JR・R19
右側眼下の道の駅を過ぎて上り坂の頂上手前付近で右方向を見ると、数年前に大爆発して多数の犠牲者を出した冠雪に輝く御嶽山と木曽神社の本宮が見えました。
※木曽神社・本宮                 ※御嶽山
042-1 木曽本宮と御嶽山  042-3 御嶽山
上った坂を下ってくると、道路は線路より低くなり、道路を右折して跨道橋を潜りR19に合流し、左折して進みます。
09時33分、分岐(右折)            ※分岐(R19に合流し左折)
043 分岐(右折・ガードを潜る)  044 分岐(R19合流・左折)
左折して約40m進むと、名古屋まで133㎞の距離標が建っていました。
09時34分、133㎞距離標(左側)
045 133km距離標
距離標から約40m歩くと斜め左に入る道があり、分岐して左に入ります。
※分岐(左側)
046 分岐(左折)
斜め左に入り約90m歩くとY字路があり、分岐点右側にある消火栓を見ながら右側に進むと、直ぐにY字路があり左方向に進みます(右側に旧国道に合流する)。
※分岐①(右側)                  ※分岐②(左側)
047 分岐(Y字路・右方向)  048 分岐(Y字路・左方向)  
分岐②から約110m歩くと、舗装路は右に曲がって旧国道に合流しますが、旧街道は舗装路から分かれて線路沿いの草道を約130m歩き、跨道橋のある道に合流し右折します(黄矢印)。
また、舗装路を横切って線路沿いに少し上ると、(白矢印)右側に馬頭観音堂(白丸)が祀られていました。
※分岐(線路沿いに進む)   ※線路沿いの草道       ※合流(右折)
049 分岐(線路沿いの草道)  049-1 線路沿いの草道  050 分岐(右折)
09時44分、馬頭観音堂(左側)
051 沓掛馬頭観音  051-1 解説
(古道は馬頭観音堂の前を通っていたそうです)
街道に戻り平成の観音道を下って旧国道に合流します。
※分岐(合流・旧国道)
052 分岐(合流)  054 中山道道標
観音道が旧国道に合流する手前の左側(白丸)に、日本橋から71番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と解説板が建っていました。
09時47分、071沓掛一里塚跡碑(左側)
053 71沓掛一里塚跡  053-1 解説
合流した処から木曽川沿いに歩くと、赤いアーチ型の木曽のかけはしが見え、木曽川に橋桁が写し出されていました。
※木曽のかけはしの眺め(右側)
055-2 木曽の桟
旧国道に合流したところから約500m歩くと、木曽のかけはしの入口があり、右折して橋を渡りました。
09時56分、木曽かけはし(右側)
※かけはし入口                  ※かけはし
056 分岐(木曽の桟・右折)  057 木曽の桟
かけはしを渡りながら斜め左前方を見ると、桟温泉旅館の全景が眺められました。
※桟温泉旅館の全景(左側)
058 桟温泉旅館
橋を渡ると、駐車場の奥に明治天皇聖蹟碑、木曽かけはし碑などが建っていました。
09時58分、明治天皇聖蹟碑、木曽かけはし碑
059 明治天皇聖蹟碑・木曽桟橋解説  059-1 解説
※木曽の桟跡(石積み桟=右側)
060 桟橋の基礎となった石積み
街道に戻り約350m歩くと、道路沿い(道路ブロックの切れ間)に賽の河原地蔵が祀られていました。
10時04分、賽の河原地蔵(左側)
061 賽の河原地蔵
右側に木曽川を眺めながら旧国道を約750m歩くと、木製吊り橋跡がありました。
※木曽川沿いを歩く
062 木曽川沿いの中山道
10時12分、木製吊り橋跡(右側)
063 木製吊り橋跡
中山道を歩いた先人の方々のHPやブログでは木製吊り橋の先は歩道がないと記されていましたが、
R19に合流するまで歩道部分が設けられていました。
※旧国道に設置された歩道部分
064 歩道ができました
なおかつ、R19の合流もガードなど歩行者専用道路が出来ていました。
※歩車分離 ⇒ ※中山道道標 ⇒ ※R19下のガードを潜る ⇒
065 歩車分離  065-1 中山道道標  065-2 R19ガードを潜る
 ⇒ ※ガード先を左折 ⇒ ※R19合流・右折 ⇒ R19歩道なし部分
065-3 ガードを出て左折  065-4 R19に合流・右折  065-5 歩道なし
R19に合流しJR笹沢架道橋の少し手前から歩道のない部分を約150m歩くと、笹沢交差点があり右折します。
10時23分、笹沢交差点(右折)
066 笹沢交差点・右折
笹沢交差点を右折して約650m歩くと、十王橋交差点があり、左折して枡形状(クランク形)に進みます。
10時30分、十王橋交差点(左折)
067 十王橋交差点・左折
十王橋交差点を真っ直ぐ渡って左折すると、右側に上松宿入口の標柱が建っており、右側角地に高札場跡、石仏石塔群がありました。
10時31分、高札場跡、石仏石塔群(右側)
068 分岐(十王橋を渡る)
※高札場跡                    ※石仏石塔群 
069 高札場跡  069-1 石仏石塔群
高札場跡を出て直ぐに右折して十王橋を渡り、渡った処のY字路を左側に進みます。
※分岐(十王橋先のY字路を左側)
070 分岐(左折)
※往時を感じさせる上松宿の町並み
071 上松宿
十王橋を渡ったところのY字路から約150m歩くと、十字路があり左折して約130m先の八幡神社に向かいました。
10時36分、八幡神社(左側)
072 八幡神社
街道に戻り約50m歩くと右側に問屋、総庄屋を兼ねた原脇本陣跡があり、門扉脇に問屋の木札が掲げられていました。
10時38分、脇本陣跡(右側)
073 脇本陣跡(原家)
脇本陣跡の道路反対側に男女双体道祖神が祀られていました。
10時39分、男女双体道祖神(左側)
074 男女道祖神
男女双体道祖神の直ぐ先の左側に塚本歯科医院があり、往時は本陣だったところです。
10時40分、上松宿本陣跡(左側)
075 本陣跡(現塚本歯科医院)
本陣跡から約60m歩くと右に曲がる角に、日本橋から72番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と解説板がありました。
10時41分、072本町一里塚跡(左側)
076 72上松一里塚跡  076-1 解説
一里塚跡から約60m歩くとT字路に突き当たり左折し、分岐から約130m進むと広小路交差点があり、交差点を過ぎた左側に今日の宿泊する田政旅館があり、立ち寄りました。
10時44分~10時50分、田政旅館(左側)
078 田政旅館
立ち寄ったのは、この先の旅で不要と思われる荷物を預かってもらうためで、私は貴重品、行動食、ペットボトルをレジ袋に入れて残りのザックなどの荷物を預かってもらいました。
女将さんに夕方、再度来ることを伝え、旅に出発しました。
田政旅館を出て街道を約60m歩くと下町交差点があり、交差点を左折するコースになしている資料もありますが、私達は左折しないで直進し、さらに約50m先の上松町歩道橋手前の寺坂を上ります。
※分岐(下町交差点を直進)
079 下町信号(直進)・道標
10時52分、分岐(左の寺坂に進む)
080 分岐(左側・上松町歩道橋)
※直進 ⇒ ※階段道  ※上道に合流
081 直進 082 階段 083 分岐(合流)
上道に合流した左側の斜面に、大乗妙典碑が建っていました。
10時55分、大乗妙典碑(左側)
084 大乗妙典碑
大乗妙典碑から約40m先に上松小学校があり、道路に面した斜面に中山道道標の横に斎藤茂吉歌碑が建っていました。
10時57分、中山道道標・斎藤茂吉歌碑(左側)
085 中山道道標・斎藤茂吉歌碑
中山道道標を過ぎ小学校校門に入る上り道の右側に、藤村文学碑が建っていました。
10時59分、島崎藤村文学碑(進行左側)
086 藤村文学碑
学校校舎の後ろに冠雪の中央アルプスの山が見えました。
※冠雪の中央アルプス(左側)
087 中央アルプスの眺望
校門前から約80m歩くと校庭に面した斜面に、尾張藩直轄材木役所陣屋跡がありました。
11時01分、尾張藩直轄材木役所陣屋跡(左側)
088 材木役所跡
陣屋跡から約30m歩くと、左側に諏訪神社の鳥居が建っており、本殿は小学校の校庭を越えた処に祀られていました。
11時02分、諏訪神社(左側)
※鳥居                      ※本殿
089 諏訪神社・鳥居 089-2 諏訪神社・本殿
諏訪神社(鳥居)から約100m歩くと、上松小学校のグランドが終わる処にある十字路の左角に庚申塔が建っていました。
11時04分、庚申塔(左側)
090 庚申塔
庚申塔から約140m歩くと左側に一時停止の標識が建っている分岐があり、左方向に進みます。
11時06分、分岐(左方向に進む)
091 分岐(左方向)
左方向に進むと約20mで中澤橋を渡り、橋から約400m歩くとR19を跨ぎます。
11時11分、R19を跨ぐ
092 R19を跨ぐ
R19を跨ぎ約300m歩くと左側に山一建設があり、会社の手前左側に常夜燈など多数の石仏石塔が祀られていました。
11時15分、石仏石塔群(左側)
093 石仏石塔群
石仏石塔群から約220m歩くと、現在は民宿の「たせや」で、往時は寝覚立場の茶屋本陣を勤めていた多瀬屋がありました。
11時17分、多瀬屋(旧茶屋本陣)=右側
094 多瀬屋(茶屋本陣跡) 094-2 多瀬屋
多瀬屋の道を隔てた真向かいに、創業寛永元(1624)年で寿命そば(蕎麦切り)の老舗の越前屋がありました。
※越前屋(右側)
095 越前屋
越前屋は現在旅館を営んでおり、名物の蕎麦は多瀬屋との間の細い路地を約160m下った寝覚の床交差点の脇で営業しています。
名勝の寝覚の床が寝覚の床交差点の処にある臨川寺から眺められるのと、越前屋で昼食の蕎麦を食べて行こうということになり、多瀬屋との間の細い路地を下り、寝覚の床交差点を横断した処にある臨川寺に行きました。
11時21分、臨川寺
※山門                      ※明治天皇小休所跡碑
096 臨川寺・山門 097 明治天皇小休所跡碑
〔寝覚の床〕
臨川寺に入るのには入場料が必要なのですが、誰も居ないのでそのまま境内に入らせて頂き、寝覚の床を見学し写真を撮って記録に残しました。
ところが、配膳を待っている時、寝覚の床で撮った写真を間違って削除してしまい、Mさんに了承を得て写真を再度撮りに行きました。
098 寝覚の床標識  098-3 寝覚の床
寝覚の床を見学し、交差点を横断して越前屋に蕎麦を食べに行きました。
《昼食》 11時26分~11時58分、昼食
〔蕎麦・越前屋〕
100 蕎麦・越前屋
店に入ると数人の先客だけで空いている席にすわり、盛りそば(1,240円)を注文し賞味しました。
配膳された蕎麦は2枚のざるに盛られており、量は普通で、味は美味しい蕎麦でした。
※盛りそば            ※店内            ※江戸末期の店舗
100-2 盛りそば 100-1 店内 100-3 江戸末期の越前屋
店舗を出て下ってきた坂を上り街道に戻ると、越前屋と多瀬屋の前(街道の向かい側)に枝垂れ桜が植生されていたので、記録に残しました。
12時02分、枝垂れ桜(左側)
101 しだれ桜
枝垂れ桜から約90m歩くとY字路があり、分岐点に津島神社があり、脇に大カツラが植生されていました。
12時04分、大カツラ(津島神社)
102 大かつら 102-1 解説
分岐点の大カツラの処を右側に進むと、左側に中央アルプスの山が見え、路地を左側に入り(上松中学の北門先)写真を撮りました。
※中央アルプス(左側)
103-1 中央アルプス
大カツラのY字路分岐から約120m歩くと、分岐点に白い建物の寝覚簡易郵便局があり、分岐を左側に進みます。
12時10分、分岐(左側=寝覚簡易郵便局)
104 Y字路分岐(左)
Y字路分岐を左側に進むと直ぐ左側に、石仏石塔群が建っていました。
※石仏石塔群(左側)
105 石仏石塔群
石仏石塔群から約220m歩くと、左側に消火栓、正面が車止めとなっているところを直進し、石畳みの下って県道に合流します。
※直進 ⇒ ※石畳道に入る  ※県道に合流
106 分岐(直進) 107 分岐(石畳道に入る) 108 分岐(県道に合流)
合流した県道を約30m歩くと左に分岐する道がありますが、直進します。
※分岐(直進)
109 分岐(右側)
分岐を過ぎ右に曲がりながら約50m歩くと滑川橋があります。
12時16分、滑川橋     ※橋からの眺め
110 滑川橋 111 滑川橋からの眺め(上流側)
滑川橋は刎懸造りの橋で「長さ15間、南北より刎木にて中橋杭なし、この辺、特に急流なり」と云われ、桟、伊奈川橋と共に木曽三大橋と云われたそうです。
滑川橋を渡り、右に曲がりながら約30m歩くと左側に馬頭観音が祀られていました。
12時18分、馬頭観音(左側)
112 馬頭観音
馬頭観音から約300m歩くと中山道道標が建っており、木曽古道口が記されていました。
12時22分、中山道道標(木曽古道口)
113 木曽古道口道標
道標を過ぎると左側に老人ホーム木曽寮があり、街道は左に曲がりながら(道標から約160m)線路に突き当たり、線路沿いを進みます。
※JRの線路沿いを歩く
114 線路沿いの道
線路に突き当たった辺りから約300m歩くと左側に御嶽山溝中碑が建っていました。
12時27分、御嶽山講中碑(左側)
115 御嶽山溝中碑
講中碑から右に曲がりながらJR中央本線のガードを潜り、ガードを出た処を民家の方に左折します。
※①中央本線ガードを潜る         ※②民家の方に左折
116 中央線を潜る 117 分岐(左折)
※③人家の前を通る             ※④土道を進む
118 民家の前を通る 119 土道
※⑤R19に合流
120 分岐(合流)
合流したR19を約30m進むと小野滝橋があり、左側の中央本線高架奥に木曽八景のひとつである小野滝がありました。
12時31分、小野滝橋
121 小野滝橋
※小野滝              ※解説
122-1 小野ノ滝 122-2 解説
小野滝から約700m歩くと、斜め左に上る道があり、路面に止まれ標示が記された分岐があり、左側に進みます。
12時43分、分岐(斜め左に入る)
123 分岐(左方向)
分岐を斜め左に入ると直ぐ(約15m)の右側に、日本橋から73番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と解説パネルが建っていました。
12時44分、073荻原一里塚跡(右側)
124 73荻原一里塚跡124-2 解説124-3 榎と紅葉の合体木
また、一里塚跡地に植生されている一里塚の木であるエノキは、モミジと合体の木になっていました。
一里塚跡から約70m歩くと、左側に常夜燈が建っていました。
12時46分、常夜燈(左側)
125 常夜燈
常夜燈から約100m歩くと、左に入る路地があり、曲がり角に文化4(1807)年に建立された廿三夜塔と題目碑が建っていました。
12時47分、廿三夜塔・題目碑(左側)
126 石塔
廿三夜塔に沿って街道を離れて路地を進むと、右側に風越山の湧水「和水(なごみ)」がありました。
12時48分、風越山の湧水「和水(なごみ)」=右側
127 湧水・和水
街道に戻り約70m歩くとR19の荻原交差点に合流し、左折して進みます。
12時49分、分岐(R19荻原交差点に合流)
128 荻原信号
荻原交差点から約150m歩くと荻原沢に架かる荻原沢橋があり、橋を渡って進みます。
※荻原沢
129 荻原沢
荻原沢橋から約40m歩くと左側に入る道の入口に、串ケ下バス停と木曽古道道標がありました。
12時52分、木曽古道道標(左側)
130 木曽古道道標・串ケ下バス停
木曽古道道標から約250m歩くと、右側に阿寺渓谷(16㎞)、柿其渓谷(24㎞)などが記された案内標識が建っている左側に、斜め左側に入る道があり、斜め左側に進みます。
※分岐(斜め左に進む)           ※中央本線の串ケ下橋梁を潜る
131 分岐(左方向) 132 ガードを潜る
※ガードを潜って右折
133 ガードを出たら右折
右折して約4分歩くと、左側の段上に明治23年に建立された馬頭観音が祀られていました。
13時00分、馬頭観音(左側)
134 馬頭観音
馬頭観音から約3分歩くと、右側に木曽古道道標が建ち、左側にブロック擁壁がある擁壁の上(白矢印)に石仏石塔群がありました。
13時03分、石仏石塔群(左側)
135 石仏石塔群 135-1 場所用
民家の前を通り、線路の脇のくるみ坂を下ります。
※民家の前を通る                       ※線路の脇を下る
136 道案内(民家の前を通る) 136-1 136-4 線路沿いを下る
正面の階段手前(左側に中山道道標あり)を右折して立町橋梁を潜ります。
13時11分、分岐(右折)
※階段手前を右折             ※中山道道標  
136-5 分岐(右折)136-5-1 場所確認用
※立町橋梁を潜る
136-6 中央本線を潜る
立町橋梁を出て左折し、坂を下ってR19に合流します。
※分岐(合流=R19)
136-7 合流
合流して直ぐの左側に、鳥居が建ち、階段を上ると参道をJR線が横切っている神明神社が祀られていました。
13時13分、神明神社(左側)
137 神明神社鳥居
R19を約1分歩くと、左側に機械サービス木曽、右側に中山道道標のある斜め左に入る道があり、左に入って線路と民家の間を進みます。
13時14分、分岐(左折)
138 分岐(左方向)138-1 線路と民家の間を進む
分岐(機械サービス木曽)から約3分歩くと、上松町立町歩道橋が設置されているR19に合流し、
R19に跨っている歩道橋の下を潜って横切って進みます。
13時17分、分岐(R19を横切り)
※歩道橋の下を横切り           ※バス停待合所     ※中山道案内図
139 横切り(上松町立町歩道橋)140 バス停140-1 中山道道案内
バス停待合所から約30m歩くと、左側に水神碑と水場がありました。
13時19分、水神碑・水場(左側)
141 水神碑と水場
水神碑から約180m歩くと右側の木曽川に架かる木造の吊り橋の諸原橋があり、右折して見に行くと、老朽化が進み進入禁止になっていました。
13時22分、木造吊り橋・諸原橋(右側)
※諸原橋全景
          ※分岐(白矢印)      ※諸原橋親柱
142 木製吊り橋(諸原橋) 143 諸原橋入口 144 諸原橋(通行止)
諸原橋分岐に戻り約90m歩くとR19に合流し、道路を横断して進行左側を約60m進むと、左側に名古屋まで123㎞の距離標が建っていました。
13時25分、123㎞距離標(左側)
145 123km距離
距離標から約50m歩くと桟沢橋があり、
桟沢橋を渡って約600m進むと、今日の到着地である倉本駅入口がありました。
《到着》
本来は駅の入口で終了するのですが、駅の構造をMさんが調べると、
151-1 乗り場案内
明日の朝、上松駅から乗車してくる電車の出入り口はこの場所ではなく、ホーム先のガードを潜った所ということが分かり、場所を移動して到着式を行い今日の旅を終えました。
146 倉本駅前分岐(左折) 146-1 道標 147 ガードを潜る
13時38分、倉本駅入口(到着地)
149 倉本駅入口(到着地)
《移動》
到着式を終え、駅舎で列車の到着を待つのですが、乗車する電車が到着するのは15時10分で1時間30分先です。
※倉本駅
151 倉本駅
ザックは旅館に預けてきたので身軽なのですが、時間とともに寒さが忍び寄ってきてだんだんと寒くなり、耐えられない寒さではありませんが、体を動かしていないと
寒さを感じるようになり、駅舎の中で運動したり、持参した行動食(パンやどら焼き)でお腹を満たすなどして体を温め列車の到着を待ちました。
15時10分、倉本駅発
152 倉本駅ホーム
車窓から旅の途中で眺めた小野ノ滝を眺めようとしましたが、少し離れた場所から眺めた滝は良く見えませんでした。
15時16分、上松駅着
155 上松駅
15時24分、田政旅館着
【宿泊】
《行程確認》
相部屋の和室に入り、荷物の整理、浴衣に着替え、入浴する前に明日の行程確認(お互いの地図を突き合わせ、歩く道順を確認する)を行いました。
明日はグーグル地図には記されていないルートを歩いたりするので、持参した資料をMさんと確認しながらルートを記憶し、旅の中で判断しながら歩くことになるような感じです。
行程確認を行った後、入浴し今日の汚れを洗い落とし、湯船に浸って疲れを癒やしました。
《夕食》
夕食は18時と云われていたのですが、17時45分頃に食事の連絡があり、指示された部屋に行くと配膳されており、私はビールで喉を潤し、Mさんと旅の思い出話しに花を咲かせながら楽しい夕食タイムを過ごしました。
157 夕食
【次回の予告】
次回の第20回「旧中山道二人旅」は、
 ●旅 日=12月11日(月)
 ●行 程=倉本駅入口 ~ 大桑駅入口交差点
 ●歩程距離=約20.3㎞
泊まる宿が上松駅のため、倉本駅から上松駅まで1駅移動する予定です。
【街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-tokaido.blog.jp/

※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅

旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/

※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅

H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 

※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/


【みちのく潮風トレイル】

環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/  

    

【天候】 晴れ 
【宿場】 (35)藪原宿 ⇒ (36)宮ノ越宿 ⇒ (37)福島宿
【行程】 歩行距離=14.27㎞ 総距離=281.95㎞
藪原駅入口分岐 ⇒ (2.42㎞) ⇒ 吉田信号 ⇒ (2.2㎞) ⇒ 巴渕信号 ⇒ (3.2㎞) ⇒068宮ノ越一里塚跡 ⇒ (1.85㎞) ⇒ 中山道中間点 ⇒ (2.25㎞) ⇒ 69出尻一里塚跡 ⇒ (2.35㎞) ⇒ 福島宿・上町交差点
【ルート図】
 ↓
宿場(桃色=第18回旅の宿場・黄色=踏破済の宿場)
000 第18回宿場図
 ↓
第18回旅のルート
000-1 第18回ルート
【旧中山道二人旅】
《序章》
今日の旅は、藪原駅入口分岐~原野駅入口までの約9.3㎞を歩き、原野駅から木曽福島駅に電車で移動して宿泊する予定で計画し、宿舎も予約して旅に出掛ける準備を進めていました。
旅に出発する約2週間前、旅で使用する地図や史跡などの資料を準備している時、
昼間の時間帯の電車の本数が少ない(約2~3時間ごと)のと、翌朝に原野駅まで電車移動するのが大変なため、前回の旅で贄川駅を奈良井駅まで延長して宿舎まで歩いたことを思い出し、日没時間までに木曽福島までの約5㎞を歩けるか検討すると、何とか間に合うのではないかとなり、Mさんに計画の変更を打診するとOKの回答があり、今日の旅の行程を変更し、
(旧) 藪原駅入口分岐~原野駅入口 約9.3㎞
(新) 藪原駅入口分岐~木曽福島・上町交差点 約14.3㎞
に変更しました。
これに伴って、翌日(10日)以降の行程を当初計画から変更しました。

《移動》
旅に出掛ける時は平素の起床時間より早く起きるのですが、塩尻駅での乗り換え時間から平素と同じ時間の起床で間に合うため、いつもと同じ時間に鳴る目覚ましの音楽で「さあ、起きるぞ」と起きる号令をかけベットを出て洗面に向かいました。
洗面、血圧&体重測定の平素の流れに沿って準備を進め、用意しておいた衣服に着替えて旅支度を整え、朝食の焼き餅にきな粉を付けた安倍川餅を食べ、旅に出掛けました。
移動の途中、小淵沢駅で前の電車が雪によるポイント故障で遅れているとの車内放送があり、約10遅れて乗換駅の塩尻駅に到着しました。

10時35分(定刻=10時27分)、塩尻駅着
10時55分(定刻=10時50分)、塩尻駅発
乗り換えの時間が25分あったので急ぐことなく中央本線に乗り換え、藪原駅に向かいました。
途中、Mさんと前回まで歩いた所を車窓から見ながら思い出話しに花を咲かせていました。

11時27分(定刻=11時25分)、藪原駅着

002 藪原駅
ワンマン電車ですが駅員が居る駅なので、改札を出たところで駅員に切符を渡す時、記憶していたかどうか分かりませんが、先月コーヒーをご馳走になったお礼を云って駅舎を出て、出発地に向かいました。

道は昨夜降った雪が残っており、滑って転ばないように注意して歩き、前回の到着地の藪原駅入口分岐でMさんと出発式を行い今日の旅に出発しました。
道路の凍結などを想定して
滑り止め具を持参しましたが、使うことなく今回の旅は終わりました。
001 滑り止め具
【=旅=】
11時31分、藪原駅入口分岐(出発地)
003 藪原駅入口分岐(出発地)
車が通る所は雪がないのですが、歩道の部分は歩く人が居ないため、緩やかな上り道も滑らないようにして約260m歩くと、R19に合流したところに藪原交差点があり、R19を直進しましたた。
※R19藪原信号
004 藪原信号
信号から先の歩道は雪道ですが、雪道を見ることも、歩くことも目新しいことではありませんが、街道旅で歩くのは初めてです。
街道旅は晴れた日に歩くようにしておりますが、雨天になることもあります。
しかし雪道は凍結などが想定されるため、転倒による怪我を回避するため、凍結が想定される期間は旅を取り止めるようにしています。
そのため、この先の旅で雪道を歩くことはないと思うので、今回の雪道は記憶に残る出来事になりました。
足跡のない雪の歩道を約1.1㎞歩いていると、R19の進行左側に温度表示板が設置されており「今の気温1℃」と表示されていました。
※雪道の歩道
006 歩道の雪と温度
温度表示板から約50m歩くと獅岩橋があり、橋の手前のガードレールの間から斜め左側の旧国道に入ります。
11時46分、分岐(獅岩橋手前を斜め左側)
007 分岐(左)
旧国道を約220m歩くと、右側に昭和8年に完成した菅橋(すげはし)が架かっていました。
※菅橋(右側)
008 菅橋
菅橋は昭和40年のR19号の改良工事で新しい橋「鷲鳥橋」ができ、菅橋はその役割を終え現在は、通行不可ですが壊されずに残され、 昨年、その歴史的価値が改めて評価され土木学会選奨土木遺産に認定されました。
菅橋を右に見ながら約30m歩くとR19に合流(鷲鳥橋の先)し左折します。
合流点から約160m進むと菅交差点があり、さらに約190m歩くと吉田洞門があり、木曽川沿いの歩道を進みます。
11時54分、吉田洞門
009 吉田洞門
吉田洞門の脇の歩道を約450m歩くと吉田交差点があり、直進しました。
11時59分、吉田交差点(直進)
010 吉田信号
交差点で進行左側に渡って進むと、左側に焼肉権兵衛があり、その手前(吉田交差点から約120m)に石仏石塔群が段上に祀られていました。
12時01分、石仏石塔群(左側)
011 石仏石塔群
石仏石塔群の処で衣服調整(フリースを脱ぐ)を行いR19を約350m歩くと、左側に石仏石塔群が先ほどと同じように段上に祀られていました。
12時08分、石仏石塔群(左側)
012 石仏石塔群
石仏石塔群から約170m歩くと吉田橋があり、橋を渡った所を木曽川に沿って左折します。
12時12分、分岐(左折・吉田橋を渡った所)
013 吉田橋信号  014 分岐(左折)
木曽川の左岸を約300m歩くと山吹トンネルの手前で再びR19と合流し、黄色の車止めからR19を真っ直ぐ横切って進むと、横切った左側に標高柱(887m)が建っていました。
12時15分、分岐(直進・R19を横切り)・標高標柱(887m)
015 分岐(R19横断)   015-1 標高標柱
R19を横切ると、右側に管が破裂したのか噴水状に水が出ており、噴出した水は着水すると凍って樹氷のようになっていました。
※凍った樹氷
016-1 氷雪
ここからの道は雪道で、一部氷結しており、氷の上を歩いて見事に後ろにスッテンコロリンとひっくり返ってしまいましたが、背負っていたザックが防御して何事もなく済みました。
また、歩く所にはキツネかタヌキの足跡があり、写真を撮ったのですが、上手く写っておらず残念でした。
分岐から約600m歩くと、山吹トンネルを出てきたR19の神谷入口交差点に合流しました。
12時26分、神谷入口交差点(合流)
018 神谷入口(合流)
神谷交差点に来ると雪のない舗装路になり、約450m歩くと山吹橋が架かっており、橋を渡った先の巴渕交差点を右折します。
12時32分、巴淵交差点(右折)
019 巴淵信号(右折)
巴淵交差点から約200m歩くと、右側に路傍の句碑が建っていました。
12時35分、路傍の句碑(右側)
020 句碑
句碑から約50m歩くとJRのガードがあり、ガードを潜ると直ぐに道は
・左に曲がる道
・真っ直ぐ橋を渡る道
に分岐し、旧街道は左側の巴淵バス停と右側の東屋の間を直進して巴橋を渡ります。
12時37分、巴淵分分岐
021 分岐(巴淵・右折)
※巴淵(巴塚・解説)
021-1 巴が淵解説 022 巴塚 022-1 解説
※巴橋(親柱・巴淵)
023 巴橋 023-1 巴橋・親柱 024 巴が淵
12時39分、昼食(巴淵の東屋)

東屋があり、休憩するのに丁度良いと判断し、Mさんに「昼食にしましょう」と話し、ベンチにザックを降ろし昼食に用意してきたおにぎりを取り出しました。
025 昼食
私はおにぎりをそのままザックに入れると潰れてしまうため、日本酒月桂冠の紙パック900mlを加工しておにぎり入れにしています。
これは山ガールから教えて頂いた保管方法で、おにぎりが潰れることなく、包装紙も持ち帰ることができるので重宝しています。
さて、昼食は先の行程があるため、短時間で済ませ出発しました。
12時47分、東屋発
東屋を出発し、巴橋を渡ると道は直角に左にまがるのですが、曲がり角の右側に木曽義仲が産土南宮神社を拝する時に使った手洗水がありました。
12時48分、南宮神社・手洗水(右側)
026 南宮神社・手洗水
手洗水から約300m歩くと、右側に道祖神が祀られていました。
12時53分、道祖神(右側)
027 道祖神
道祖神から約180m歩くと、民家の前に皇女和宮の元婚約者であった有栖川熾仁親王夫妻が中山道旅行の途次に休息した手塚家の前に跡碑が建っていました。
12時54分、有栖川宮小休所跡碑(右側)
028 有栖川宮小休所跡碑
旧街道は跡碑から約60m先で右折し、さらに約30mで左折し、義仲館徳音寺方向に進みます。
※分岐(右折=徳音寺南バス停前)      分岐(左折=義仲館徳音寺方向)
029 分岐(徳音寺南バス停前右折)  030 分岐(十字路・左折)
分岐を左折して約250m歩くとT字路となり、右折します。
12時59分、分岐(T字路を右折)
031 分岐(T字路・右折)
T字路から約80m歩くと、右側に中北道標が建っており、道標から約30m歩くと葵橋があり、橋を渡った先のT字路を右折します。
13時01分、分岐(葵橋先のT字路を右折)
※中北道標(右側)                 ※分岐(T字路を右折)

032 中北道標  033 分岐(T字路・右折)
T字路分岐を右折して歩いていると、右側に珍しい苗字の家があり記録に残しました。
※珍しい苗字
034 珍しい苗字
T字路分岐から約500m歩くと左折すると宮ノ越駅、右折すると義仲館に至る十字路があり、右折して義仲館に向かいました。
13時07分、分岐(右折=義仲館、左折=宮ノ越駅)
035 分岐(右折・義仲館)   035-1 宮ノ越駅入口
右折して義仲橋を渡り約120m進むと、右側に義仲館がありました。
しかし、12/1~3/20は冬期閉館中で館内は見学することができず、敷地内に設置されている義仲・巴像を記録に残し先に進みました。
13時09分、義仲館(右側)
036 義仲館・入口   036-1 義仲・巴御前像
義仲館から約60m奥に徳音寺があり、立ち寄りました。
13時12分、徳音寺
※山門(鐘楼門)          ※白蛇の清水           ※巴御前

037 徳音寺・山門  037-2 白蛇の清水  037-3 巴の乗馬姿
徳音寺は仁安3(1168)年に義仲が母小枝御前の菩提を弔うために建立したもので、山門は尾張藩犬山城主から寄進されたもので、山門上部の梵鐘は「徳音寺の晩鐘」として木曽八景の1つです。
徳音寺から義仲橋を渡って街道に戻り約120m歩くと左側に斎藤新聞店があり、新聞店に沿って左に約110m進むと、左側に本陣バス停があり、バス停手前に宮ノ越宿村上本陣跡がありました。
13時19分、村上本陣跡(左側)
※本陣門               ※建物              ※石碑
038 宮ノ越宿本陣跡(村上家)  038-1 本陣・建物  038-3 本陣跡碑
本陣の隣りに都筑家が勤めた脇本陣跡があり、問屋と名主を兼ねていたそうですが、現在は更地になっており標板だけが建っていました。
13時21分、脇本陣跡(左側)
039 脇本陣跡
脇本陣跡から約180m歩くと、右側に旧旅籠・田中屋があり、建物は明治の大火後に再建されたものだそうです。
13時23分、旧旅籠田中屋(右側)
040 旧旅籠・田中屋
旧旅籠の田中屋から約70m歩くと左側に釣瓶井戸があり、井戸の前に明治天皇宮ノ越御膳水碑が建っていました。
13時25分、明治天皇宮ノ越御膳水碑(左側)
041 御膳水跡
江戸末期に掘られた井戸で近郷随一と云われた名水で、明治天皇が本陣で休息した時、この井戸水で立てたお茶を献上したそうです。
御膳水碑の先から上り坂となり約90m歩くと左側に下町会館があり、会館の敷地内に元禄時代に建立された観世音菩薩、南無阿弥陀仏名号碑などの石仏石塔群が祀られていました。
13時26分、石仏石塔群(左側)
042 石仏石塔群
石仏石塔群から約30m歩くと橋があり、ここが頂部となり下り坂になります。
下り坂を約50m歩くと、右側に石仏が祀られていました。
13時28分、石仏(右側)
043 石仏石塔
石仏から約400m歩くとY字路分岐があり、右側に進みます。
※分岐(Y字路を右側)
044 分岐(Y字路・右側)
分岐を右側に約190m歩くと、左側に日本橋から68番目の一里塚があり、石碑と解説標板が建っていました。
13時36分、068宮ノ越一里塚跡(左側)
塚碑                          解説
045 68宮ノ越一里塚跡   045-1 解説
一里塚跡を過ぎると上り坂となり右手に木曽アスコンのプランや日義体育館を眺めながら約700m歩くと、右側に中山道道標が建っており、そこから約90m歩くと第5中山道踏切で渡ります。
13時44分、中山道道標(右側)
046 中山道道標
13時45分、第5中山道踏切
047 第5中山道踏切
踏切を渡って約30m進むと、左側に石塔が建っていました。
13時46分、石塔(左側)
048 石塔
石塔から約160m歩くと右側に松沢バス停があり、左に進む道がありますが、街道は直進します。
※分岐(直進)
049 分岐(松沢バス停前・直進)
石塔から約450m歩くと、左側に原野駅前バス停があり、右側に入って行く道路を進むと原野駅です。
13時54分、原野駅前バス停(左側)
050 原野駅入口
※地図にはバス停の手前に民宿中村と記されていますが、建物はありませんでした。
バス停から約50m歩くと無佐沢川に架かる無佐沢橋があり、橋の手前左側に石仏石塔群が祀られていました。
13時55分、石仏石塔群(左側)
051 石仏石塔群
無佐沢橋を渡り約30m歩くと、右側に原野の石仏群として史跡になっている石仏群が段上に祀られていました。
13時57分、石仏群(左側)
052 石仏石塔群
石仏群から約120m歩くと、右側に明星岩公園があり、公園の名付けになった明星岩が北西の方角にある山腹に見えるのですが、公園は木々が邪魔してビューポイントにならず、公園を過ぎてところがビューポイントでした。
※明星岩(右側)
053 明星岩   053-1 明星岩
明星岩を眺めながら約130m歩くと、中山道の中間点(江戸・京の双方から67里28町、約266㎞地点)があり、石碑と解説標板が建っていました。
14時02分、中山道中間点(左側)
054-1 中山道中間点
中間点標識の先隣りに、水神碑が建っていました。
※水神碑(左側)
055 水神碑
中間点付近から南東方向に木曽駒ヶ岳などの中央アルプスの山々が眺められるのですが、時間的に午後になってしまい今いちの眺望になってしまいました。
※木曽駒ヶ岳などの眺め
056 中央アルプス
中間点から約350m歩くと、斜め右側に入れる細道と真ん中に中山道道標(白線枠)が建つ分岐があり、右側の細道に入ります。
14時10分、分岐(右側)
057 分岐(右方向)   057-1 中山道道標
分岐から約110m歩くと左側に小さな神社、右側にカーブミラーのある十字路があり、街道は真っ直ぐ進みます。
※分岐(直進)
058 分岐(十字路直進)
舗装路を真っ直ぐ進むと右側に小沢センターがあり、その前に中山道道標があり、道標脇の道案内板に「この下の橋を渡り木曽福島へ」と記されており、左側の細い下り坂の草道に進みます。
14時13分、分岐(左側=小沢センター前)
059 分岐(左方向)
草道の坂を下ると、右側に中山道道標が建つY字路分岐となり、左側に進みます。
※分岐(Y字路=左側)
 
草道の下り            Y字路を左方向

059-1 草道  060 分岐(Y字路・左折)  
草道を進むと正沢川に突き当たり道なりに川に沿って進むと左側に鉄橋(白枠)が架かっており、細い鉄橋を渡ります。
14時20分、細い鉄橋
061 鉄橋(左折して渡る)  061-1 鉄橋・足元
鉄橋の渡り詰めを右折し、十字路を横断して真っ直ぐ進みます。
※分岐(十字路を横断)
062 分岐(十字路・直進)
民家の間を通り、正面に消火栓、右側にカーブミラーと中山道案内のある突き当りの県道を右折して進みます。
14時24分、分岐(突き当りを右折)
063 分岐(合流)
分岐(途中に栗本バス停あり)から約170m歩くと天神橋が架かっており、橋を渡って約40m進むと左側に薬師堂が祀られており、手前に嘉永5(1852)年に建立された廿三夜塔などが建っていました。
14時27分、薬師堂(左側)
※薬師堂                ※廿三夜塔
065 薬師堂  064 廿三夜塔
薬師堂の先隣りに手習天神が祀られていました。
※手習天神(左側)
066 手習天神
手習神社から約350m歩くと分岐があり、そのまま直進します。
※分岐(直進)
067 分岐(左方向)
直進して直ぐ先の分岐を右側に進むのですが、右側に進むと左側に「中山道ウォーキングの方へ この先、道がなくなっていて危険です。・・・・・迂回をお願いします」と記された看板が建っていました。
※分岐(右側=☓・左側=◯)
067-1 分岐(Y字路・左)   067-2 注意看板
道案内に従って分岐に戻り、左側の道を歩いて上田口交差点を右折して進みました。
14時35分、上田口交差点(右折)
067-3 分岐(合流・右折)
交差点から約400m歩くと、右側に草道があり、その先の右側に日本橋から69番目の出尻一里塚があり、跡地に石碑と解説板が建っていました。
14時41分、069出尻一里塚跡(右側)
068 69 出尻一里塚跡   068-1 解説
旧街道は一里塚の手前の草道のため、一里塚から少し戻って草道に入り(右側の角に中山道道標あり)、くの字におと坂を下ります。
※分岐(右折して草道を進む) ・ 土道の旧街道
069 分岐(右折・草道)  069-1 土道
おと坂の途中の右側に石仏石塔群があり、街道は細い道を下って舗装路に合流します(合流左側に中山道道標がある)。
14時43分、石仏石塔群(右側)
070 石仏石塔群
※分岐(合流)
070 分岐(合流)
合流から約250m歩くと「きそ子供センター前」バス停先がY字路となり、車止めがある左側に進みます。
※分岐(Y字路を左)
071 分岐(Y字路・左方向)
Y字路分岐から約80m上り坂を歩くと左側にコンビニデイリーのあるR19に合流し、約130m進むと左側に高澤モータース(ブリヂストンの看板)があり、手前を左折して矢崎旧道に入ります。
14時50分、分岐(左折=高澤モータース前)
072 分岐(左折)
左折して矢崎旧道を右に回り込みながら約90m歩くと矢崎沢があり、沢を跨いで約20mでT字路となり、左上の鉄橋を眺めながら左折します。
※鉄橋(左側)
073-1 鉄橋
T字路を右折して直ぐにY字路となり、左側の上り坂に入ります。
※分岐(Y字路を左方向)
075 分岐(左方向)
Y字路を左方向に上る道は雪が凍結しており、転倒しないように気を付けて約110m歩くと、R19の矢崎橋交差点に合流し、進行方向右側に渡って進みます。
※分岐(合流・矢崎橋交差点)
076 分岐(合流・矢崎橋信号)
R19を約300m歩くと、右側に創業300年の歴史を誇る生そばの老舗「くるまや」がありました。
私とMさんは蕎麦が好物ですが、食べる時間帯でないので通り過ぎました。
14時59分、生そば・くるまや
077 そば・くるまや
くるまやの斜め向かい(道路左側)に芭蕉句碑(左側)と経塚(右側)が並んで建っていました。
15時00分、芭蕉句碑・経塚
079 芭蕉句碑(左)・経塚(右)
街道はくるまやに沿って斜め右の下り坂を進みます。
※分岐(右折)
078 分岐(右方向)
分岐から約160m歩くと、R361の高架橋(木曽大橋)があり、下を潜って進みます。
※木曽大橋(高架橋)
080 木曽大橋
高架橋を潜って約30m歩くと舗装路に合流し、合流してからさらに約170m歩くと左側に桜橋が架かっており、橋のたもとに福島関所をモチーフにしたマンホールがありました。
※マンホール(桜橋のたもと)
081 マンホール
マンホールから約40m歩くとR19に合流し、さらに約60m歩くと関町交差点に着きました。
15時07分、関町交差点(右方向に進む)
082 分岐(関町信号・Y字路を右)
R19は関町交差点の先でY字路となり、R19は左方向の福島トンネルとなり、街道は右方向に進みます。
関町交差点から約400m歩くと正面に道路を跨ぐ大きな冠木門が建っていました。
※関所門
083 関所門
関所門から約60m進むと、左に上る道があり、上る道に入って進みます。
※分岐(斜め左)
084 分岐(左側)
上る道を約80m歩くと、福島関所(東門)があり、見学しながら通りました。
福島関所は碓氷、箱根、新居と共に「天下の四関」の一つで、尾張藩の代官山村氏が関守を勤め、入り鉄砲と出女を厳しく取り締まったそうです。
15時15分、福島関所(東門)
※関所碑                        ※関所跡
085 関所跡碑   085-2 関所跡
※番所跡               ※築地堀跡            ※西門跡
085-3 関所跡  085-5 関所跡  085-6 関所跡
※関所跡復元図                    ※関所門(西門)
085-7 関所跡図   086 関所跡・西門
福島関所の見学を終え、関所資料館には立ち寄らないで先に進み、約70m先の高瀬資料館に立ち寄りました。
15時20分、高瀬家資料館(左側)
087 高瀬家資料館   087-1 高瀬家資料館
高瀬家は島崎藤村の姉、園(その)が嫁いだ家で、藤村の小説「家」のモデルになっています。現在は資料館になっており、藤村ゆかりの写真や手紙などが展示されていますが、以前に見学したことがあるので、外から写真を撮って先に進みました。
関所跡、高瀬資料館の後、初恋の小径を下ると左側に初恋の小径碑が建っていました。
※高瀬家資料館からの初恋の小径

088 通路(直進) ⇒090 通路(直進) ⇒090-2
※初恋の小径碑(左側)
091 初恋の小径碑
小径碑から街道に出ると直ぐに今日の到着地である上町交差点に着き、到着式を行い今日の旅を終えました。

15時25分、木曽福島宿・上町交差点(到着地)
092 上町信号(到着地)
【宿泊】
到着式を終え、道路を渡って宿泊する自由旅クラブ木曽三河屋に向かいました。
ホテルは交差点を右折して約100m先の十字路を左折し、約70m歩くと左側に「自由旅クラブ木曽三河屋」がありました。
※自由旅クラブ木曽三河屋(左側)
093 自由旅クラブ・木曽三河屋
フロントでザックを預かって頂き、近くの山村代官屋敷と興禅寺の見学に出掛けました。
ホテルを出ると道路の真向かいに代官屋敷東門跡があり、跡碑と紀行文の一節が記された石が石垣に残されていました。
※山村代官屋敷東門跡              ※紀行文が記された石(白丸)
094 山村代官屋敷東門跡   094-2 積み石(文字入り)
ホテル前の道を左に約70m歩くと代官屋敷前交差点があり、交差点を右折すると階段上に山村代官屋敷跡がありました。
※山村代官屋敷                   ※稲荷の祠
095 山村代官屋敷跡・入口   096 稲荷の祠
山村代官屋敷を見学しホテルの前に戻り、ホテルを右に見て約70m先の十字路を左折し、上り坂を約220m歩くと、右側に野木家があり、建物を記録に残しました。
※野木家の建物
098 野木医院跡
野木家から約170m歩くと左側に木曽義仲の墓所があるという興禅寺があり、見に行きました。
※興禅寺・山門
099-2 山門
立派な山門を潜り、境内に建てられた案内板にしたがって本堂裏手の墓所に行くと、一転して義仲の墓所案内がなくなり、どれが義仲の墓所か分からなくなり推測で記録に残しました。
※義仲の墓所?          ※木曽家代々の墓
100 木曽義仲の墓?  100-1 木曽家の墓
境内に義仲の墓所はこちらと案内板を建てているのでしたら、墓所を明示してほしいと思います。
墓所から興禅寺の脇を通ってホテルに戻ろうとすると、左側に旧林野局の建物が建っていました。
※旧林野局建物
101 旧林野局建物
史跡を見学を行い再びホテルに戻り、チェックインしました。
【宿泊】
《行程確認》
受付を行い、指定された室(相部屋の和室)に入り、荷物の整理、浴衣に着替え、入浴の前に明日の行程確認(お互いの地図を突き合わせ、歩く道順を確認する)を行いました。
調べた資料だけでは歩く場所のイメージが湧かない所もありますが、事前に歩く行程の確認を行うことで、二人の共通認識ができることから実施しています。
《夕食》 18:40~19:40
行程の確認を終え、温泉に浸かって今日の疲れを癒やし、夕食を食べに食堂に行きました。
指定されたテーブルには夕食が配膳されており、アルコールがダメなMさんは食事を始め、一杯飲まなければ今日が終わらない私と正反対の二人です。
102 夕食
ビールを注文し、手酌で注いで喉を潤し、Mさんと旅のことやその他のことを語らいながら配膳された夕食に舌鼓を打ち、夕食の時間を楽しみました。

【次回の予告】

次回の第19回「旧中山道二人旅」は、
旅 日=12月10日(日)
行 程=福島宿・上町交差点 ~ 須原宿・倉本駅入口
歩程距離=約16.46㎞
明日の宿は到着地の倉本駅にないため、倉本駅から上松駅まで1駅移動して戻り、上松駅から約100mの田政旅館です。

【街道旅のご案内】

※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/ 
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
 http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/

【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
 
https://michinoku-trail.blog.jp/  

    

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