【宿場】 (39)須原宿 ⇒ (40)野尻宿
【行程】 歩行距離=10.30㎞ 総距離=308.71㎞
倉本駅入口⇒(1.54㎞)⇒万場交差点⇒(2.5㎞)⇒大渕沢橋⇒(2.42㎞)⇒枡形道分岐⇒(2.06㎞)⇒大島バス停⇒(1.78㎞)⇒ 大桑駅入口交差点
【ルート図】
↓宿場(桃色=第20回旅の宿場・黄色=踏破済の宿場)
↓第20回旅のルート
【旧中山道二人旅】
《序章》
今日は上松駅から中央本線に乗り1駅先の倉本駅に移動し、倉本駅から2駅先の大桑駅入口交差点までの約10㎞の旅をします。
街道旅は、1日15~20㎞歩くことにしているのですが、
・大桑駅の昼間の電車が12時34分と15時の2本しかない
・相方のMさんの奥さんの病状の関係で、少しでも早く家に帰る必要がある
ため、旅の距離を短縮して終えることにしました。
《移動》
〔朝食〕
朝、5時にスマホのアラーム音で布団を出て、洗面、着替えを行い旅の支度を整えTVで天気予報を見ていると、Mさんが近辺を散策するというので一緒に夜明け前の肌寒い駅前商店街を一周しました。
15分くらいで旅館に戻ると、食事の支度が整ったと連絡があり、別室の食事場所に行き朝食を摂りました。
〔移動〕
07時34分、田政旅館発
旅館の女将さんに御礼を云って旅館を出発し、上松駅で切符を購入(切符販売は7:30~16:00の間で、これ以外の時間はバスと同じで整理券による精算)して乗車ホームの休憩所に入ると、数分で電車が入線(07:43)してきました。
「まだ早いのでは?」と思っていると、特急の通過待合せで定刻に出発しました。
07時52分、上松駅発
車内は7割くらいの乗客で、ほとんどが通学する高校生で、下車したのは私達2人の他に男性1人だけでした。
08時00分、倉本駅着
ワンマン電車(運転席の斜め後ろに設置されている切符箱に切符を入れる)を降りると、旅館を出て上松駅に行く時は降っていなかった雨が降っており、ホームの待合所でザックから傘を取り出し、昨日の到着地で恒例の出発式を行い、今日の旅に出発しました。
※今日は傘を差したり、閉じたりの繰り返しでした。
【=旅=】
08時05分、倉本駅入口(出発地)
駅入口(南木曽方面ホーム)から左側に下車した倉本駅を眺めながら坂道を歩くとカーブミラーと中山道道標が建っている分岐があり真っ直ぐに進みます。
※分岐(直進)
分岐から約170m歩くと、左側の斜面に石仏群が祀られていました。
08時15分、石仏群(左側)
石仏群から約70m歩くと、左側に天王様の石塔群がありました。。
08時16分、天王様の石塔群
石仏群は牛頭天王と刻まれた文化6(1809)年建立の常夜燈、その後方に亨保12(1727)年建立の庚申塔があります。
天王様の石塔から約60m歩くとY字路分岐があり、①右方向の草道に入り、②草道のY字路を左方向に進み、③下道の舗装路に合流してヘアピン状に右折する
①Y字路=右 ②Y字路=左 ③合流=右折
下道の舗装路を約200m歩くと、R19に突き当たり(T字路)左折します。
08時22分、T字路分岐(左折)
分岐を左折すると直ぐに大沢橋があり、橋を渡るなど約190m歩くと万場交差点があり、進行方向右側に道路を横断します。
08時24分、万場交差点
交差点から約220m歩くと、右側に駐車エリアがあり、エリアの右側に日本橋から74番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と解説板が建っていました。
08時27分、074倉本一里塚跡(右側)
掲載した写真には写っていませんが、一里塚の真横に大型トラックが停まっていたので、危うく見過ごすところでした。
※注意=この場所は定期便のトラックが停車して休憩する場所なので、駐車エリアの沿道側を歩いて見過ごさないようにして下さい。
一里塚跡から約190m歩くと池の尻信号があり、その手前に斜め右側に入る下り坂(金吾坂)を進みます。
08時30分、池の尻信号(手前分岐を右方向)
分岐を右に入り約200m歩くとR19沿いにコンビニ(サークルK)が見え、旧道からR19に通じる階段を上り、R19を横切ってコンビニに立ち寄り昼食(到着地の大桑駅、乗り換えの塩尻駅で購入できないことを想定)を仕入れました。
※コンビニ(サークルK)
昼食のおにぎりを仕入れ、再び旧街道に戻り約150m歩くと分岐があり、左方向の細い道に入ります。
08時41分、分岐(左側の細い道)
①分岐に入って約40m歩くと舗装路が草道になる
②前方に建つ建物に向かって坂上ります
③建物は廃業した食堂ていしゃばで、建物の左側を抜けてR19に合流します
R19に合流すると直ぐに境の沢橋があり、渡った右側(写真=白丸)に標高(588m)標柱が右側に建っていました。
そして、この橋が上松町と大桑町の境で大桑町に入りました。
08時45分、境の沢橋
境の沢橋から約200m歩くと、右側に看板(後ろ側)が建つ進行方向左側に、斜め左に上る道があり入って進みます。
〔道案内〕=番号順に進みます
①境の沢橋から約200m右側の看板(白丸)、黄丸=③の道
②看板の表側
③道路右側に横切り、斜め左に上る細い道に入る
① ② ③
④JRの線路を横切る(※危険なので要注意)
※私、Mさんの順に線路を横切ったのですが、Mさんが横切ってから数秒後に貨物列車が走り抜けて行き、命拾いしました。
線路がカーブしているため、運転手からも見えないので、渡る前は気を付けて下さい。
⑤草道から簡易舗装の道を進む
⑥舗装の車道を少し戻る感じで横切る
④ ⑤ ⑥
⑦養殖池の間の坂を上ると左側にエドヒガンサクラが植生されています
⑧エドヒガンサクラの標柱の右側を通る
⑨エドヒガンサクラを過ぎた処を、ヘアピン状に右の坂を下る
⑦ ⑧ ⑨
⑩細い土道を下る
11.丸太橋を渡って右折する
12.車道に突き当たり(T字路)左折する
⑩ 11 12
13.舗装の車道から右側の線路脇の草道に入る
14.JRの線路を横切る
15.合流したR19を進行右側に横切り左方向に進む
13 14 15
16.約100m先の阿寺渓谷、のぞきど森林公園などの案内看板の処を右折する
17.砂利道を進む
18.R19に合流する
16. 17. 18.
R19に合流して約400m歩くと、松渕橋があり、大渕沢が左側に見えました。
09時19分、大淵沢(左側)
大渕沢から約350m歩くと左側に名古屋まで119㎞距離標が建っていました。
09時23分、119㎞距離標(左側)
距離標の左側を走るJR中央線のさらに左側に津島神社が祀られているらしいのですが、確認することはできませんでした。
距離標から約210m歩くと、左側に糸瀬山登山口の看板が建っていました。
09時26分、糸瀬山登山口(左側)
※登山口の看板が建っていますが、ここからは入り口はなく、約40m先の分岐を左に入ります。
分岐の左側に上郷バス停があり、さらに約80m歩くと猿沢橋があり、橋の先に温度計(黄色丸)が掲げられ、4℃を表示していました。
そして橋の左側が猿沢です。
09時29分、猿沢(左側) ※現在の温度(4℃)
猿沢橋から約280m歩くと、斜め左に分岐する道があり、左に入って進みます。
09時33分、分岐(左側)=左に入ると黄色の車止めが設置
分岐を左入りして約270m歩くと
①橋が架かっており、橋を渡って約260m進む
②直進して橋を渡る道(黄矢印)と、右折してR19に合流(白矢印)する分岐があり
私達は黄色矢印のそのまま真っ直ぐ橋を渡ってR19に合流しました。
①橋を渡る ②直進してR19に合流
合流したR19を約100m進むと須原宿標石(分岐点)が建つ分岐があります。
09時43分、須原宿分岐
※黄丸印=須原一里塚跡
私達は資料に記されたルートを歩いたのですが、歩いた結果から私はルートに拘らないのでしたら分岐を左に進むことをお勧めします。
《資料に記されたルート》
分岐を曲がらないで約120m直進すると、
①斜め左に石垣と白いガードパイプの間に細い道がある
②左入りして進むと右側に武家屋敷風の門があり
③県道に合流します。
この道は③の白矢印のとおり須原駅方向に戻り、須原宿分岐の手前まで戻らないと、須原一里塚跡や高札場跡は見ることはできない上、県道合流まで戻らなくてはいけません。
①分岐(左入り) ②武家屋敷風の門 ③県道に合流
《私が推奨するルート》
分岐を左に進むと、
①約30mで右側に「075須原一里塚跡」があり、石碑と解説標板が建っている
②一里塚跡から約70m歩くと、左側に「幸田露伴碑」が建っている
③碑の斜め前方の右側に名物桜の花漬けを商う大和屋がある
④大和屋の真ん前にJR須原駅があり、駅舎の待合室で休憩&トイレがあり、私達もここで休憩&トイレを済ませました
⑤須原駅入口から約60m歩くと、右側に高札場跡があり、解説標板が建っています
⑥資料に記されたルートの合流点がある
⑦合流点を右折して資料に記されたルートに入り、武家屋敷風の門を記録に残す
が良いと思います。
合流点から旧街道を約140m歩くと、左側に代々木村平左衛門を襲名した須原宿本陣跡があり、家屋前に本陣を記したパネルが建っていました。
10時07分、本陣跡(左側)
本陣跡から約50m歩くと、左側に明治24(1891)年に須原宿で一泊している正岡子規の歌碑が建っていました。
10時08分、正岡子規の歌碑(左側)
歌碑の斜め前(進行右側)に、問屋、庄屋を兼ねた西尾脇本陣跡がありました。
10時09分、西尾脇本陣跡(右側)
西尾家は木曽義元の家臣で、後に木曽代官山村家に仕え、尾張藩の山林取締を勤めました。また、酒造業を営み銘酒「木曽の桟」の蔵元である。
西尾酒造の店に入って店内を撮影しようとしたら店の女将が現れて、「写真は撮らないで下さい!!」と喧嘩腰で云われ、口では「あ、そうですか」と云って店の外に出ましたが、心の中では「もっと云い方があるだろう。絶対にここの酒は飲まない」と心に刻んで店の外にでました。
西尾脇本陣を出て約50m歩くと右側に、島崎藤村の「ある女の生涯」の舞台となった清水医院跡があり、解説パネルが建っていました。
10時11分、清水医院跡(右側)
建物は愛知県犬山市の明治村に移築されて保存されているそうで、この場所にはありません。
清水医院跡から約20m歩くと左側に、常夜燈が建っていました。
10時11分、常夜燈(左側)
常夜燈から約60m歩くと右折する道の両側に、昭和2年に建立された須原小学校の校門の柱(黄色丸印)が残されていました。
10時13分、須原小学校校門の柱(右側)
須原小学校校門柱から約110m歩くと、旧旅籠吉田屋(現民宿すはら)がありました。
10時15分、旧旅籠吉田屋(右側)
旧旅籠吉田屋から約50m歩くと、左側に旧旅籠柏屋徳次郎があり、2階の軒先に
三都講、御嶽講の看板(黄丸印)が掲げられていました。
10時16分、旧旅籠柏屋徳次郎(左側)
街道は旧柏屋徳次郎の先のガードレール橋(黄丸印)を渡ったところを右折(黄矢印)して鍵屋の坂を下る枡形道を進みます。
※分岐(右折)=ガードレール橋の先
しかし、分岐の約50m先に、永享2(1430)年に創建され、本堂、山門、庫裏が国の重要文化財に指定されている定勝寺があり、立ち寄りました。
10時18分、定勝寺(左側)
※本堂 ※庫裏 ※山門
定勝寺を出て枡形道の分岐に戻り、鍵屋の坂を下り、突き当たったT字路を左折しました。
10時24分、分岐(T字路を左折)
T字路を左折して約300m歩くとクランク形の道となり、突き当りを左折、カーブミラーに沿って右折して進みます。
10時27分、分岐(T字路を左折、カーブミラーに沿って右折)
クランク形分岐から約110m歩くと、Y字路分岐となり、左方向の上り坂に進みます。
※左に入ると直ぐの左側に須原宿碑が建っています。
10時28分、分岐(Y字路分岐を左方向)
Y字路分岐の上り坂を約270m歩くと、第9中山道踏切があり、渡って進みます。
10時33分、第9中山道踏切
踏切からさらに長坂の上り坂を約190m進むと、右側の前方に福沢諭吉の娘婿が造った須原水力発電所が見えました。
※長坂の上り ※須原水力発電所(右側)
須原水力発電所が良く見える場所から約110m(踏切から約300m)の辺りに二軒茶屋があったそうですが、跡地に標識がなく資料に記されていた場所には「三瀬町さん」の家があり記録に残しました。
10時37分、二軒茶屋跡?(右側)
二軒茶屋跡付近から下り坂になり、約300m歩くと左側に大桑村公民館橋場分館が十字路があり、左折(白矢印)して京都の清水寺に似た建物の岩出観音を見に行きました。
10時41分、分岐(十字路を左折)
十字路を左折して岩出観音に向かうと、約70m先で左側の坂道を登らないと行けないことが分かり、分岐付近から建物の写真を撮るだけにしました。
※岩出観音
分岐十字路に戻り約100m歩くと、伊奈川に架かる伊奈川橋があり、渡って進みます。
10時46分、伊奈川橋
伊奈川橋を渡り約30m歩くとT字路となり、右折して進みます。
※分岐(T字路を右折)
T字路を右折して約260m上り坂を歩くと、Y字路となり、左方向に進みます(左側に中北道標が建っている)。
10時50分、分岐(Y字路を左方向)
Y字路を左方向に約220m歩くと、左側に大桑村消防団第二分団があり、その約30m先が十字路になっており、街道は左折して進みます。
また、この十字路を真っ直ぐ進む道(赤矢印)が江戸初期の中山道です。
10時53分、分岐(十字路を左折)
分岐十字路を左折する左角に、水場の水舟がありました。
※水舟(左側)
分岐十字路を左折してしばらく歩くと緩やかな上り坂となり、途中沼田屋商店(右側)などを見ながら約750m進むと、斜め交差の十字路があり、右側手前に八幡神社入口標石(黄丸印)、右側斜め前方に中北道標(白丸印)が建っていました。
11時04分、八幡神社入口標石(右側)
八幡神社入口標石から約90m歩くと、左側に大正12(1923)年の土石流で26名が犠牲になった記念碑が建っていました。
11時07分、水害記念碑(左側)
記念碑の直ぐ先でT字路となり、右折して進みます。
※分岐(T字路を右折)
分岐を右折して約180m歩くと右側に中北道標、天長院解説パネルが建っており、街道を離れて真向かい(左側)を左折(白矢印)して寺院に立ち寄りました。
11時09分、分岐(左折)
左折して約80m歩くと右側に天長院があり、山門の手前左側にマリア像(黄丸印)がありました。
11時11分、マリア像(右側=天長院)
街道に戻り約400m歩くとY字路分岐があり、左側の中北道標に沿って左方向に進みます。
11時19分、分岐(Y字路を左方向)
Y字路分岐から約130m歩くと正面に竹林があり、竹林に沿って右方向に曲がります。
※分岐(竹林に沿って右方向)
竹林に沿って右に曲がりながら約50m下ってくると、分岐の手前右側に道標、分岐するところにカーブミラーがあるY字路があり左方向に曲がります。
※分岐(Y字路を左方向)
Y字路を左に約40m進むとT字路に近いY字路となり、左方向に進み長野宿橋を渡ります。
11時23分、分岐(T字路を左方向)
長野宿橋から約40m歩くと、今日の到着地である大桑駅入口交差点に到着し、到着地を記した看板を掲げて到着式を行い旅を終えました。
11時25分、大桑駅入口交差点(到着地)
《076大桑一里塚》
到着式を終え、約80m先の大桑駅に行くと、乗車する電車の発車(12:34)まで時間があるので、大桑駅から木曽川方面(西側)に下ると古中山道の南塚を残している大桑一里塚跡があるとのことで探索に出掛けました。
〔道順〕
①上松方向に線路に沿って130m歩くと、左側にガードがあり、ガードを潜る(右側に鈴木電機がある)
②ガードを潜り、合流するR19を横切って左折する
③進行右側を約90m歩き、右折する
④右折した道を道なりに右に曲がり(約80m地点)ながら坂を下る
⑤坂を下って左折する処(④の曲がる処から約80m)を右折する
※左折するとシシゴ沢に架かる橋がある
⑥右折すると左側に月夜寮があり、正面左に墓地がある右側(黄丸印)に、日本橋から76番目の一里塚がありました。
⑦墓地の右側に大桑一里塚の前に石碑が建っています
076大桑一里塚(現存する南塚)
【帰路】
〔昼食〕
大桑一里塚から大桑駅に戻り、駅舎待合室のベンチで電車の到着を待ちました。
切符売場は朝の6:30~12:30の間だけで、あとは無人駅になります。
時計は12:20であと10分で業務が終えるため、整理作業を行っていました。
また、電車の到着を待つ間、旅の途中のコンビニで購入したおにぎりを食べ、空腹を満たしていました。
〔移動〕
12時34分、大桑駅発
13時49分、塩尻駅発
塩尻駅に着く頃には天気は回復して青空が広がっており、甲府駅の手前で車窓から富士山が撮れました。
【次回の予告】
次回の第21回「旧中山道二人旅」は1月と2月の凍結期(転倒による怪我を回避するため)を休み、春が訪れる3月中旬から再開します。
旅 日=平成30年 3月17日(土)
行 程=大桑駅入口交差点 ~ 南木曽駅入口
歩程距離=約12.3㎞
の予定です。
【街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
https://michinoku-trail.blog.jp/