【宿場】 (37)福島宿 ⇒ (38)上松宿 ⇒ (39)須原宿
【行程】 歩行距離=16.46㎞ 総距離=298.41㎞
福島宿・上町交差点 ⇒ (1.85㎞) ⇒ 070塩渕一里塚跡 ⇒ (2.20㎞) ⇒ 元橋交差点 ⇒ (1.85㎞) ⇒071沓掛一里塚跡 ⇒ (2.25㎞) ⇒ 笹沢交差点 ⇒ (1.01㎞) ⇒ 072上松一里塚跡 ⇒ (1.97㎞) ⇒ 津島神社分岐 ⇒ (2.43㎞) ⇒ 073荻原一里塚跡 ⇒ (2.90㎞) ⇒ 須原宿・倉本駅入口
【ルート図】
↓宿場(桃色=第19回旅の宿場・黄色=踏破済の宿場)
↓第19回旅のルート
【旧中山道二人旅】
《序章》
今日は木曽福島がら倉本駅入口までの16.46㎞を旅します。
《朝食》
6時55分、朝食
5時にセットしたスマホのアラームで布団を出て、洗面と旅支度を整え天気予報を確認したり、ニュースを見て過ごし、朝食に行きました。
朝食は7時からでしたが少し前に食堂へ行くと、テーブルに配膳されて支度が整っており、従業員の方に確認するとOKとのことでそのまま食事になりました。
食事の内容は可もなく、不可もないごく普通の内容ですが、一人住まいの私には贅沢すぎる内容でした。朝食は7時からでしたが、少し早く食堂に行くと支度が整えられており直ぐに食べ始めました。
また、今日の出発地は電車移動の必要がないため、急いで食べることなくのんびり気分で食べることができました。
07時46分、宿泊ホテル(自由旅クラブ木曽三河屋)発
フロントで精算しチェックアウトしてホテルを出発し、約170m離れている昨日の到着地(上町交差点)に向かい、恒例の出発式を行い旅立ちました。
【=旅=】
07時50分、福島宿・上町交差点(出発地)
出発して約150m歩くと最初の交差点(交流文化センター)があり、左折(白矢印)して本陣跡を見に行きました。
※分岐(左折=交流文化センター信号)
左折すると約40m先に木曽町交流文化センター(元木曽町役場)があり、ここが福島宿白木本陣があった処で、手前左側の観光協会に本陣跡の道案内と解説が貼り出されていました。
07時53分、福島宿白木本陣跡(左側)
支所前交差点に戻り約50m進むと、左側にYumiさんと立ち寄ったことのある創業が明治25(1892)年で銘酒・七笑の蔵元の七笑酒造がありました。
07時56分、七笑酒造(左側)
七笑酒造の斜め向かいに、創業約350年の木曽路の宿「いわや」がありました。
07時57分、木曽路の宿・いわや(右側)
いわやは現役当時、木曽福島に出張で来た時、数回宿泊したことがあり、懐かしく当時を思い出ししばらく眺めてしまいました。
いわやを過ぎ、左側に真岡薬局がある分岐を左折して枡形道を進みます。
※分岐(左折=真岡薬局前)
左折して約70m歩くと右に曲がる①左角に案内道標があり、上ノ段に向かう上り坂になります。
上ノ段の上り坂を約30m歩くと、②右側に高札場跡があり、復元されたモニュメントが建っていました。
※①分岐(案内道標) ※②高札場跡(右側) ※高札場の解説
坂を上り、左に曲がると木曽義昌の上ノ段城跡となり、旧家の家並みが残っていました。
※上ノ段の町並み
上ノ段の町並みに入ると直ぐの左側に観光文化会館があり、少し先の右側にまつり会館があり、敷地内に陰陽師で有名な安倍晴明を祀った晴明社がありました。
08時02分、まつり会館(右側)
まつり会館から約40m歩くと左側に水場があり記録に残しました。
※水場(左側)
水場の先隣りに細い路地があり、約100m入った大通寺に立ち寄りました。
08時04分、大通寺(左側)
街道に戻り約60m歩くと左に曲がると下り坂となり、約30m下ると右側に水場があり、水場の手前を右折して進みます。
08時06分、水場(右側)
左側に水場を見ながら右折し、約30m進むと中矢沢橋があり、橋を渡って右折します。
※分岐(右折=中矢沢橋)
右折して約110m歩くと右に入る道があり、街道を離れて右折して約30m入ると右側に亨保元(1716)年創業の蕎麦・くるまや本店があり、左側に木曽漆器が発祥した地に万延元(1860)年に創業したよし彦がありました。
※蕎麦・くるまや(右側) ※よし彦(左側)
街道に戻り約30m進むと、当初宿泊を予定していた「むらちや」がありました。
08時11分、むらちや(右側)
むらちやから約120m歩くとY字路となり左側に進みました。
※分岐(Y字路を左側)
Y字路を左側に約350m進むと、左側にJR木曽福島駅があり、真向かいの商店に入り昼食用の食材(おにぎりは売り切れてしまいパンを購入)を仕入れました。
08時16分、木曽福島駅(左側)
商店を出て約40m歩くと再びY字路となり、左側に進みました。
※分岐(Y字路を左側)
左側の上り坂に入り約60m進むと右側に入れる細い道があり、細い道を進むと突き当りに木曽町役場の入口があり、右折して進みます。
08時23分、分岐(右側の細い道)
①細い道に入る ②細い道を直進 ③木曽町役場前を右折
なお、先程分岐したY字路を進んできても約120mでY字路を右側に進むと町役場前で合流します。
町役場前を右折して役場に沿って左側に回り込むように下り坂を下り、下道に合流します(合流手前の左側に「ここは塩渕」と記された中山道道標がある)。
④役場に沿う ⑤下り坂 ⑥下道に合流
合流して約150m歩くと、右折できる道の左側に塩渕地名由来解説碑が建っていました。
08時31分、塩渕地名由来解説碑(左側)
塩渕地名由来記から約50m歩くと、左側に塩渕クラブの建物があり、その前に日本橋から70番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と標柱が建ち、クラブの建物の壁に中山道解説板が掲げられていました。
08時32分、070塩渕一里塚跡(左側)
※中山道解説(塩渕クラブ建物の壁)
一里塚跡から約40m歩くと、左側の段上に石仏石塔群がありました。
08時34分、石仏石塔群(左側)
石仏石塔群から約300m歩くと、右側に松本日産(正面がJA木曽)があるT字路に突き当たり、左折して進みます(左角に「ここは塩渕」と記した中山道道標)。
08時39分、分岐(T字路を左折)
T字路分岐から約50m歩くと、県立木曽病院の案内道標が掲げられている信号手前に、左側へ上る細い道があり入ります。
※分岐(信号の手前を左側に入る)
上り坂を約300m歩くと、車道に合流し右折して進みます。
08時46分、分岐(右折) ※分岐斜め左の標識群
車道を約150m歩くと、左側に津島神社の案内看板が建っており、参拝に立ち寄りました。
神社は道を少し上り、左折して木橋を渡った右側に社が祀られています。
08時49分、津島神社(左側)
車道を約260m歩くと、遠くに赤い高架橋が見え、斜め左方向に進む道に入ります。
※分岐(左方向)
分岐から約100m歩くとR19の高架橋があり、下を潜ると直ぐに中央線廃線トンネルが正面に見えました。
旧道は山を越えて行くのですが、道が消滅しているため廃線トンネルを潜って進むと資料に記されていたのですが、見るからに廃墟化しており、トンネル内は真っ暗でどのようになっているのか分からないので、通行止めになっていることもありトンネルの手前を右折し、迂回して進むことにしました。
08時55分、廃線トンネル(手前を右折)
トンネル手前を右折し、再度R19の高架橋を潜り、高架橋の右下を進み、R19に合流します。
※分岐(高架橋の右下を進む) ※合流(R19に合流)
合流したR19を約550m歩くと、トンネルから出てきた道(江戸に向かう側は入口分岐)があり、中山道道標(ここは鳥居)と通行止めの標識が建っていました。
また、江戸方面に向かうR19と分岐する処に元橋バス停があります。
※トンネルからの合流点 ※通行禁止標識 ※元橋バス停
元橋バス停から約350m歩くと元橋交差点があり、直進します。
09時13分、元橋交差点(直進)
元橋交差点から約40m歩くと左折できる道があり、左折してJR神戸架道橋を潜り右方向に曲がって線路沿いを進みます。
※分岐(左折=JR神戸架道橋)
架道橋を潜った処から約270m歩くと、右側に階段があり、階段の上り口右側に木曽御嶽遥拝所と記した看板が建っていました。
階段を上ると大きな石の鳥居があり、往時はここから御嶽山が眺められたようですが、現在は木々に囲まれて見ることはできません。
09時18分、木曽御嶽遥拝所(右側)
遥拝所から約170m歩くと中央線沿いとなり、右側に木曽ダムが見え、さらに線路沿いに坂を上ると、眼下に道の駅木曽福島が見えるようになりました。
※木曽ダム ※線路沿いの上り坂
右側眼下の道の駅を過ぎて上り坂の頂上手前付近で右方向を見ると、数年前に大爆発して多数の犠牲者を出した冠雪に輝く御嶽山と木曽神社の本宮が見えました。
※木曽神社・本宮 ※御嶽山
上った坂を下ってくると、道路は線路より低くなり、道路を右折して跨道橋を潜りR19に合流し、左折して進みます。
09時33分、分岐(右折) ※分岐(R19に合流し左折)
左折して約40m進むと、名古屋まで133㎞の距離標が建っていました。
09時34分、133㎞距離標(左側)
距離標から約40m歩くと斜め左に入る道があり、分岐して左に入ります。
※分岐(左側)
斜め左に入り約90m歩くとY字路があり、分岐点右側にある消火栓を見ながら右側に進むと、直ぐにY字路があり左方向に進みます(右側に旧国道に合流する)。
※分岐①(右側) ※分岐②(左側)
分岐②から約110m歩くと、舗装路は右に曲がって旧国道に合流しますが、旧街道は舗装路から分かれて線路沿いの草道を約130m歩き、跨道橋のある道に合流し右折します(黄矢印)。
また、舗装路を横切って線路沿いに少し上ると、(白矢印)右側に馬頭観音堂(白丸)が祀られていました。
※分岐(線路沿いに進む) ※線路沿いの草道 ※合流(右折)
09時44分、馬頭観音堂(左側)
(古道は馬頭観音堂の前を通っていたそうです)
街道に戻り平成の観音道を下って旧国道に合流します。
※分岐(合流・旧国道)
観音道が旧国道に合流する手前の左側(白丸)に、日本橋から71番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と解説板が建っていました。
09時47分、071沓掛一里塚跡碑(左側)
合流した処から木曽川沿いに歩くと、赤いアーチ型の木曽のかけはしが見え、木曽川に橋桁が写し出されていました。
※木曽のかけはしの眺め(右側)
旧国道に合流したところから約500m歩くと、木曽のかけはしの入口があり、右折して橋を渡りました。
09時56分、木曽かけはし(右側)
※かけはし入口 ※かけはし
かけはしを渡りながら斜め左前方を見ると、桟温泉旅館の全景が眺められました。
※桟温泉旅館の全景(左側)
橋を渡ると、駐車場の奥に明治天皇聖蹟碑、木曽かけはし碑などが建っていました。
09時58分、明治天皇聖蹟碑、木曽かけはし碑
※木曽の桟跡(石積み桟=右側)
街道に戻り約350m歩くと、道路沿い(道路ブロックの切れ間)に賽の河原地蔵が祀られていました。
10時04分、賽の河原地蔵(左側)
右側に木曽川を眺めながら旧国道を約750m歩くと、木製吊り橋跡がありました。
※木曽川沿いを歩く
10時12分、木製吊り橋跡(右側)
中山道を歩いた先人の方々のHPやブログでは木製吊り橋の先は歩道がないと記されていましたが、
R19に合流するまで歩道部分が設けられていました。
※旧国道に設置された歩道部分
なおかつ、R19の合流もガードなど歩行者専用道路が出来ていました。
※歩車分離 ⇒ ※中山道道標 ⇒ ※R19下のガードを潜る ⇒
⇒ ※ガード先を左折 ⇒ ※R19合流・右折 ⇒ R19歩道なし部分
R19に合流しJR笹沢架道橋の少し手前から歩道のない部分を約150m歩くと、笹沢交差点があり右折します。
10時23分、笹沢交差点(右折)
笹沢交差点を右折して約650m歩くと、十王橋交差点があり、左折して枡形状(クランク形)に進みます。
10時30分、十王橋交差点(左折)
十王橋交差点を真っ直ぐ渡って左折すると、右側に上松宿入口の標柱が建っており、右側角地に高札場跡、石仏石塔群がありました。
10時31分、高札場跡、石仏石塔群(右側)
※高札場跡 ※石仏石塔群
高札場跡を出て直ぐに右折して十王橋を渡り、渡った処のY字路を左側に進みます。
※分岐(十王橋先のY字路を左側)
※往時を感じさせる上松宿の町並み
十王橋を渡ったところのY字路から約150m歩くと、十字路があり左折して約130m先の八幡神社に向かいました。
10時36分、八幡神社(左側)
街道に戻り約50m歩くと右側に問屋、総庄屋を兼ねた原脇本陣跡があり、門扉脇に問屋の木札が掲げられていました。
10時38分、脇本陣跡(右側)
脇本陣跡の道路反対側に男女双体道祖神が祀られていました。
10時39分、男女双体道祖神(左側)
男女双体道祖神の直ぐ先の左側に塚本歯科医院があり、往時は本陣だったところです。
10時40分、上松宿本陣跡(左側)
本陣跡から約60m歩くと右に曲がる角に、日本橋から72番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と解説板がありました。
10時41分、072本町一里塚跡(左側)
一里塚跡から約60m歩くとT字路に突き当たり左折し、分岐から約130m進むと広小路交差点があり、交差点を過ぎた左側に今日の宿泊する田政旅館があり、立ち寄りました。
10時44分~10時50分、田政旅館(左側)
立ち寄ったのは、この先の旅で不要と思われる荷物を預かってもらうためで、私は貴重品、行動食、ペットボトルをレジ袋に入れて残りのザックなどの荷物を預かってもらいました。
女将さんに夕方、再度来ることを伝え、旅に出発しました。
田政旅館を出て街道を約60m歩くと下町交差点があり、交差点を左折するコースになしている資料もありますが、私達は左折しないで直進し、さらに約50m先の上松町歩道橋手前の寺坂を上ります。
※分岐(下町交差点を直進)
10時52分、分岐(左の寺坂に進む)
※直進 ⇒ ※階段道 ⇒ ※上道に合流
上道に合流した左側の斜面に、大乗妙典碑が建っていました。
10時55分、大乗妙典碑(左側)
大乗妙典碑から約40m先に上松小学校があり、道路に面した斜面に中山道道標の横に斎藤茂吉歌碑が建っていました。
10時57分、中山道道標・斎藤茂吉歌碑(左側)
中山道道標を過ぎ小学校校門に入る上り道の右側に、藤村文学碑が建っていました。
10時59分、島崎藤村文学碑(進行左側)
学校校舎の後ろに冠雪の中央アルプスの山が見えました。
※冠雪の中央アルプス(左側)
校門前から約80m歩くと校庭に面した斜面に、尾張藩直轄材木役所陣屋跡がありました。
11時01分、尾張藩直轄材木役所陣屋跡(左側)
陣屋跡から約30m歩くと、左側に諏訪神社の鳥居が建っており、本殿は小学校の校庭を越えた処に祀られていました。
11時02分、諏訪神社(左側)
※鳥居 ※本殿
諏訪神社(鳥居)から約100m歩くと、上松小学校のグランドが終わる処にある十字路の左角に庚申塔が建っていました。
11時04分、庚申塔(左側)
庚申塔から約140m歩くと左側に一時停止の標識が建っている分岐があり、左方向に進みます。
11時06分、分岐(左方向に進む)
左方向に進むと約20mで中澤橋を渡り、橋から約400m歩くとR19を跨ぎます。
11時11分、R19を跨ぐ
R19を跨ぎ約300m歩くと左側に山一建設があり、会社の手前左側に常夜燈など多数の石仏石塔が祀られていました。
11時15分、石仏石塔群(左側)
石仏石塔群から約220m歩くと、現在は民宿の「たせや」で、往時は寝覚立場の茶屋本陣を勤めていた多瀬屋がありました。
11時17分、多瀬屋(旧茶屋本陣)=右側
多瀬屋の道を隔てた真向かいに、創業寛永元(1624)年で寿命そば(蕎麦切り)の老舗の越前屋がありました。
※越前屋(右側)
越前屋は現在旅館を営んでおり、名物の蕎麦は多瀬屋との間の細い路地を約160m下った寝覚の床交差点の脇で営業しています。
名勝の寝覚の床が寝覚の床交差点の処にある臨川寺から眺められるのと、越前屋で昼食の蕎麦を食べて行こうということになり、多瀬屋との間の細い路地を下り、寝覚の床交差点を横断した処にある臨川寺に行きました。
11時21分、臨川寺
※山門 ※明治天皇小休所跡碑
〔寝覚の床〕
臨川寺に入るのには入場料が必要なのですが、誰も居ないのでそのまま境内に入らせて頂き、寝覚の床を見学し写真を撮って記録に残しました。
ところが、配膳を待っている時、寝覚の床で撮った写真を間違って削除してしまい、Mさんに了承を得て写真を再度撮りに行きました。
寝覚の床を見学し、交差点を横断して越前屋に蕎麦を食べに行きました。
《昼食》 11時26分~11時58分、昼食
〔蕎麦・越前屋〕
店に入ると数人の先客だけで空いている席にすわり、盛りそば(1,240円)を注文し賞味しました。
配膳された蕎麦は2枚のざるに盛られており、量は普通で、味は美味しい蕎麦でした。
※盛りそば ※店内 ※江戸末期の店舗
店舗を出て下ってきた坂を上り街道に戻ると、越前屋と多瀬屋の前(街道の向かい側)に枝垂れ桜が植生されていたので、記録に残しました。
12時02分、枝垂れ桜(左側)
枝垂れ桜から約90m歩くとY字路があり、分岐点に津島神社があり、脇に大カツラが植生されていました。
12時04分、大カツラ(津島神社)
分岐点の大カツラの処を右側に進むと、左側に中央アルプスの山が見え、路地を左側に入り(上松中学の北門先)写真を撮りました。
※中央アルプス(左側)
大カツラのY字路分岐から約120m歩くと、分岐点に白い建物の寝覚簡易郵便局があり、分岐を左側に進みます。
12時10分、分岐(左側=寝覚簡易郵便局)
Y字路分岐を左側に進むと直ぐ左側に、石仏石塔群が建っていました。
※石仏石塔群(左側)
石仏石塔群から約220m歩くと、左側に消火栓、正面が車止めとなっているところを直進し、石畳みの下って県道に合流します。
※直進 ⇒ ※石畳道に入る ⇒ ※県道に合流
合流した県道を約30m歩くと左に分岐する道がありますが、直進します。
※分岐(直進)
分岐を過ぎ右に曲がりながら約50m歩くと滑川橋があります。
12時16分、滑川橋 ※橋からの眺め
滑川橋は刎懸造りの橋で「長さ15間、南北より刎木にて中橋杭なし、この辺、特に急流なり」と云われ、桟、伊奈川橋と共に木曽三大橋と云われたそうです。
滑川橋を渡り、右に曲がりながら約30m歩くと左側に馬頭観音が祀られていました。
12時18分、馬頭観音(左側)
馬頭観音から約300m歩くと中山道道標が建っており、木曽古道口が記されていました。
12時22分、中山道道標(木曽古道口)
道標を過ぎると左側に老人ホーム木曽寮があり、街道は左に曲がりながら(道標から約160m)線路に突き当たり、線路沿いを進みます。
※JRの線路沿いを歩く
線路に突き当たった辺りから約300m歩くと左側に御嶽山溝中碑が建っていました。
12時27分、御嶽山講中碑(左側)
講中碑から右に曲がりながらJR中央本線のガードを潜り、ガードを出た処を民家の方に左折します。
※①中央本線ガードを潜る ※②民家の方に左折
※③人家の前を通る ※④土道を進む
※⑤R19に合流
合流したR19を約30m進むと小野滝橋があり、左側の中央本線高架奥に木曽八景のひとつである小野滝がありました。
12時31分、小野滝橋
※小野滝 ※解説
小野滝から約700m歩くと、斜め左に上る道があり、路面に止まれ標示が記された分岐があり、左側に進みます。
12時43分、分岐(斜め左に入る)
分岐を斜め左に入ると直ぐ(約15m)の右側に、日本橋から73番目の一里塚跡があり、跡地に石碑と解説パネルが建っていました。
12時44分、073荻原一里塚跡(右側)
また、一里塚跡地に植生されている一里塚の木であるエノキは、モミジと合体の木になっていました。
一里塚跡から約70m歩くと、左側に常夜燈が建っていました。
12時46分、常夜燈(左側)
常夜燈から約100m歩くと、左に入る路地があり、曲がり角に文化4(1807)年に建立された廿三夜塔と題目碑が建っていました。
12時47分、廿三夜塔・題目碑(左側)
廿三夜塔に沿って街道を離れて路地を進むと、右側に風越山の湧水「和水(なごみ)」がありました。
12時48分、風越山の湧水「和水(なごみ)」=右側
街道に戻り約70m歩くとR19の荻原交差点に合流し、左折して進みます。
12時49分、分岐(R19荻原交差点に合流)
荻原交差点から約150m歩くと荻原沢に架かる荻原沢橋があり、橋を渡って進みます。
※荻原沢
荻原沢橋から約40m歩くと左側に入る道の入口に、串ケ下バス停と木曽古道道標がありました。
12時52分、木曽古道道標(左側)
木曽古道道標から約250m歩くと、右側に阿寺渓谷(16㎞)、柿其渓谷(24㎞)などが記された案内標識が建っている左側に、斜め左側に入る道があり、斜め左側に進みます。
※分岐(斜め左に進む) ※中央本線の串ケ下橋梁を潜る
※ガードを潜って右折
右折して約4分歩くと、左側の段上に明治23年に建立された馬頭観音が祀られていました。
13時00分、馬頭観音(左側)
馬頭観音から約3分歩くと、右側に木曽古道道標が建ち、左側にブロック擁壁がある擁壁の上(白矢印)に石仏石塔群がありました。
13時03分、石仏石塔群(左側)
民家の前を通り、線路の脇のくるみ坂を下ります。
※民家の前を通る ※線路の脇を下る
正面の階段手前(左側に中山道道標あり)を右折して立町橋梁を潜ります。
13時11分、分岐(右折)
※階段手前を右折 ※中山道道標
※立町橋梁を潜る
立町橋梁を出て左折し、坂を下ってR19に合流します。
※分岐(合流=R19)
合流して直ぐの左側に、鳥居が建ち、階段を上ると参道をJR線が横切っている神明神社が祀られていました。
13時13分、神明神社(左側)
R19を約1分歩くと、左側に機械サービス木曽、右側に中山道道標のある斜め左に入る道があり、左に入って線路と民家の間を進みます。
13時14分、分岐(左折)
分岐(機械サービス木曽)から約3分歩くと、上松町立町歩道橋が設置されているR19に合流し、
R19に跨っている歩道橋の下を潜って横切って進みます。
13時17分、分岐(R19を横切り)
※歩道橋の下を横切り ※バス停待合所 ※中山道案内図
バス停待合所から約30m歩くと、左側に水神碑と水場がありました。
13時19分、水神碑・水場(左側)
水神碑から約180m歩くと右側の木曽川に架かる木造の吊り橋の諸原橋があり、右折して見に行くと、老朽化が進み進入禁止になっていました。
13時22分、木造吊り橋・諸原橋(右側)
※諸原橋全景 ※分岐(白矢印) ※諸原橋親柱
諸原橋分岐に戻り約90m歩くとR19に合流し、道路を横断して進行左側を約60m進むと、左側に名古屋まで123㎞の距離標が建っていました。
13時25分、123㎞距離標(左側)
距離標から約50m歩くと桟沢橋があり、桟沢橋を渡って約600m進むと、今日の到着地である倉本駅入口がありました。
《到着》
本来は駅の入口で終了するのですが、駅の構造をMさんが調べると、
明日の朝、上松駅から乗車してくる電車の出入り口はこの場所ではなく、ホーム先のガードを潜った所ということが分かり、場所を移動して到着式を行い今日の旅を終えました。
13時38分、倉本駅入口(到着地)
《移動》
到着式を終え、駅舎で列車の到着を待つのですが、乗車する電車が到着するのは15時10分で1時間30分先です。
※倉本駅
ザックは旅館に預けてきたので身軽なのですが、時間とともに寒さが忍び寄ってきてだんだんと寒くなり、耐えられない寒さではありませんが、体を動かしていないと
寒さを感じるようになり、駅舎の中で運動したり、持参した行動食(パンやどら焼き)でお腹を満たすなどして体を温め列車の到着を待ちました。
15時10分、倉本駅発
車窓から旅の途中で眺めた小野ノ滝を眺めようとしましたが、少し離れた場所から眺めた滝は良く見えませんでした。
15時16分、上松駅着
15時24分、田政旅館着
【宿泊】
《行程確認》
相部屋の和室に入り、荷物の整理、浴衣に着替え、入浴する前に明日の行程確認(お互いの地図を突き合わせ、歩く道順を確認する)を行いました。
明日はグーグル地図には記されていないルートを歩いたりするので、持参した資料をMさんと確認しながらルートを記憶し、旅の中で判断しながら歩くことになるような感じです。
行程確認を行った後、入浴し今日の汚れを洗い落とし、湯船に浸って疲れを癒やしました。
《夕食》
夕食は18時と云われていたのですが、17時45分頃に食事の連絡があり、指示された部屋に行くと配膳されており、私はビールで喉を潤し、Mさんと旅の思い出話しに花を咲かせながら楽しい夕食タイムを過ごしました。
【次回の予告】
次回の第20回「旧中山道二人旅」は、
●旅 日=12月11日(月)
●行 程=倉本駅入口 ~ 大桑駅入口交差点
●歩程距離=約20.3㎞
泊まる宿が上松駅のため、倉本駅から上松駅まで1駅移動する予定です。
【街道旅のご案内】
※《街道旅-1》 旧東海道夫婦二人旅
H24.03.11に日本橋を出発し、H26.01.17に京都・三条大橋に到着するまでの37回のEiさんと認知症のYumiさん(要介護2)夫婦の旧東海道の旅ブログです。
ブログには、旅の途中で楽しんだ番外編(京都嵐山の紅葉、安土城址、神戸ルミナリエなど)や七里の渡し、佐屋街道の旅紀行も掲載しています。
街道ウォーカーの皆さんのお役に立てたら幸いです。
今回の旅は、出発日が東日本大震災と同じ日(1年目)、到着日が阪神淡路大震災と同じ日(19年目)と同じ日と、ともに大震災が発生した日になっていますが、これは意識して震災日に合せたわけではなく到着してから友人に教えられ気が付きました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-tokaido.blog.jp/
※《街道旅-2》 旧甲州道中夫婦二人旅
旧東海道に続き、H26.09.15にYumiさんと二人でYumiさんの母親の故郷である下諏訪を目指してお江戸日本橋を出発し、H28.05.30に下諏訪・中山道合流点に到着するまでの15回の旧甲州道中の旅ブログです。
Yumiさんと一緒に出発したのですが、第2回旅の後、Yumiさんが山行途中で転倒し足首を骨折して一緒に歩けなくなり、第3回旅からEiさん一人で歩くことになりました。
ところが縁があって第8回旅からMさんと二人で旅することになり、踏破しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-koushukaido.blog.jp/
※《街道旅-4》 旧日光道中二人旅
H31.01.14に日本橋・国道元標前を出発し、R01.11.04に日光・東照宮に到着するまでの9回の旅ブログです。
この旅は日本橋を出発する最後の旅になるので、日本橋の道路中央に埋め込まれている「道路元標」前で出発式を行って出発しました。
旅の紀行は、以下のURLでご覧頂けます。
http://eiyumi-nikkokaido.blog.jp/
※《街道旅-5》 旧奥州街道二人旅
江戸幕府の街道奉行が管轄していた五街道の最後の街道としてR02.03.21に宇都宮宿の日光道中追分を出発し、R02.10.03に福島県白河市女石追分に到着するまでの5回の旧奥州街道の旅ブログです。
温かくなってから出発しようと計画していたら新型コロナウイルスの感染防止が叫ばれるようになり、3回歩いたところで緊急事態宣言が発出され街道旅を休止せざるを得ない状況となりました。
※3回までは街中を歩くことなく郊外の街道をあるくため、電車の移動だけ気を付けて実施しました。
なかなか感染者数が減少しない状況でしたが、インフルなどが流行する前に歩こうと相方のMさんと話合い、半年後の10月の天気の良い日を狙って歩き、五街道を制覇しました。
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【みちのく潮風トレイル】
環境省がH23(2011).03.11に発生した東日本大震災からの復興に資するために環境省や青森県、岩手県、宮城県、福島県の4県28市町村におよぶ関係自治体、民間団体、地域住民の協働で策定が進められ、コースは青森県八戸市撫島から福島県相馬市松浦までの沿岸地域に設定され、段階的な開通を重ねながらR01(2019).06.09に全長約1,025㎞のナショナルトレイルとして全線が開通しました。
山仲間のH氏と男二人で80歳までの完歩を目指してR03.10.16に撫島を出発し、福島県相馬市松浦までのトレイル記録です。
旅の紀行は、以下のURLをクリックするとご覧頂けます。
https://michinoku-trail.blog.jp/
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